由紀さおりの代表曲は何?夫は誰?子供はいるの?安田祥子との関係は?のど自慢出演!

 

由紀さおりさんと言えば、透明感のある、透き通った歌声に定評がありますね。

童謡歌手からスタートし、歌謡曲を歌い、女優や・ナレーター・コメディアンにも挑戦してきた由紀さおりさん。

レコード大賞や紅白歌合戦で名をあげ、世界的にも評価が高い事で有名ですね。

又、子ども時代から、ともに歌う事の多かった、実の姉の安田祥子さんとの競演もたびたび見られますね。

由紀さおりさんの年齢、代表曲・結婚相手の夫、結婚歴、子供などについて深掘りしてみました。

由紀さおりさんの事について詳しくなりましょうね。




由紀さおりの生年月日、本名などのプロフィール

手紙、生きがい、夜明けのスキャット、人生という旅など、数々の名曲で知られる歌手・由紀さおりさん。

歌手であり、タレント、女優、ナレーター、更にはコメディアンにも挑戦する由紀さおりさんは、 少女の頃から、姉(安田祥子)と童謡歌手として活躍しました。1969年に「夜明けのスキャット」が大ヒットします。

レコード大賞の歌唱賞を受賞するなど、国際的な知名度が高く、2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信されています。

姉は声楽家の安田祥子で、二人で録音することや、同じステージに立つこともたびたびありますね。

何と、大みそかの国民的歌番組「NHK紅白歌合戦」でも、姉と共演していますね。

紅白歌合戦には、由紀さおりソロ として13回、姉の、安田祥子とのユニット で10回出場し、合計23回出場していますね。

 

芸名:由紀さおり(ゆき さおり)
本名:安田章子(やすだ あきこ)
出身地:群馬県桐生市
生年月日:1948年11月13日(2023年5月現在で74歳)
学歴:洗足学園第一高等学校、洗足学園短期大学英文科卒業

3歳の時に、群馬県から横浜市に引っ越しています。幼少の頃から姉の安田祥子さんと共に、本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍していました。

1965年、16歳の頃、本名:安田章子の名前でで歌謡曲デビューを果たします。しかし、童謡歌手のイメージが強かったのか、ヒットが出ずませんでした。

ところが、1969年、東芝音楽工業よりリリースした「夜明けのスキャット」が大ヒットします。同年の紅白歌合戦に二十歳で出場します。あの「る~るるるる~」で始まる名曲ですね。由紀さおりと言えば、この曲が真っ先に思い出させられますね。

その後、10年連続で紅白歌合戦に出場するという快挙を達成しています。

歌手活動以外にも、当時大人気を博した「8時だよ全員集合」、「ドリフ大爆笑」、「コメディーお江戸でござる」などのバラエティ番組で、天然キャラの喜劇役者として活躍されています。NHK朝ドラ「チョッちゃん」などで女優としても活躍します。

現在も、歌手活動をベースに、ドラマやCMへの出演や音楽番組の司会など、幅広く活躍しています。

今回も、のど自慢のゲスト出演がありますね。




由紀さおりがNHKのど自慢ゲストに再出演

今回(由紀さおりさんは、何度ものど自慢にゲスト出演されていますね)も、ゲスト出演が決まっている由紀さおりさん。

前回の出演では、由紀さんの歌を歌った出場者が合格されました。その時の由紀さんのコメントが印象に残っています。

「めっちゃ嬉しいです。私がゲストで出た時に、私の歌で合格したのはあなたが初めてです。」と。

私は、2022年4月ごろからのど自慢の記事を書くようになりましたが、由紀さんの喜びようは半端なかったですね。(笑)

子どものころから、由紀さんが出演しているのど自慢を何回も見てきましたが、(そうだったんだな)と驚きでしたね。

確かに、圧倒的な歌唱力と美しい歌声なので、由紀さんの歌を歌う事は、かなりハードルが高いと葉の持っていましたが。




由紀さおりさんの、代表的な人気曲

夜明けのスキャット

リリース:1969年3月10日

作 詞:山上路夫

作 曲:いずみたく

Topix:タイトルの通りに、1番は具体的な歌詞は登場せず、大半が「ルー、ルールルルー…」「ラー、ラーララ―」というスキャットで歌われます。

私が、小学生の頃だったと思います。この曲で、「スキャット」と言うジャンルを知りました。

「シャバダバ」「ドゥビドゥバ」「パヤパヤ」「ルルル」とうの曲は聞いた事がありましたが、スキャットと言うジャンルで、音楽と言うより、声の楽器と言う「スキャット」を知ったきっかけになりましたね。

手紙

リリース:1970年7月5日

作詞:なかにし礼

作曲:川口 真

Topix:『第12回日本レコード大賞』歌唱賞。『第21回NHK紅白歌合戦』歌唱曲。

子供の時に、「手紙」がヒットしたことにより、私(由紀さおり)もやっと、一発屋でない事が証明されて良かった」と言う趣旨のコメントを聞いた事があります。

確かに、「夜明けのスキャット」は、子ども時代、いわゆる イジリの曲的な要素がありましたね。でも、この曲が、由紀さおりを有名にしましたし、「手紙」が由紀さおりの評価をさらに押し上げた感がありましたね。

 

恋文

リリース:1973年8月20日

作詞:吉田旺

作曲:佐藤勝

Topix:『第15回日本レコード大賞』最優秀歌唱賞。『第24回NHK紅白歌合戦』歌唱曲。

 楽曲の最初の歌詞に出てくる「アズナヴール」が、人名であることを初めて知りました。フランスのシャンソン歌手であり俳優であるシャルル・、アズナヴールの事です。

調べてみると、五か国語を使い分けた、世界的な歌手だったのですね。201年にお亡くなりになっていますね。

 




由紀さおりさんの夫!一人目!

由紀さおりさんの初婚相手は、音楽プロデューサーの大森昭男さんでした。

大森昭男さんは由紀さおりさんの12歳年上で、出会いは、音楽関係の仕事だったようです。由紀さおりさんが苦渋を舐めていた時代を、大森さんがプロデューサーとして支えた縁で交際がスタートしたようです。由紀さんが洗足学園第一高等学校を卒業する頃には、すでにプロポーズをしていたということですので、出会ったのもプロポーズも、由紀さおりさんが高校生の頃という事になりますね。

その頃、私は中学生でしたからよく覚えていますが、美しい歌声と清楚なたたずまいで大ファンになっていました。仕事のパートナーとして(将来性も見越して)も、結婚相手としても、大森さんにしてみれば、是非とも一緒になりたかったのでしょうね。

結婚されたのは1969年3月29日のことで、当時の由紀さおりさんの年齢は20歳、大森昭男さんの年齢は32歳でした。

何と、十二支で言えば、一回りも違うのですね。

結婚当初は夫婦生活は順調でした。しかし、徐々に由紀さおりさんが歌手としての活動の域を超えてタレント業や女優業にも挑戦していくことが多くなります。仕事で家を空けることが多くなり、必然的に夫婦で過ごす時間が少なくなっていったようですね。

夫婦間でのコミュニケーションが少なくなっていき、結婚してから7年目の1976年には別居生活に入ります。その後1983年に離婚してしまいました。別居していた期間も合わせると結婚生活は14年でした。離婚した当時の由紀さおりさんの年齢は34歳でした。




由紀さおりさんの夫 大森昭男さん

ちなみに、大森昭男さんのプロデューサーとしての腕前は折り紙付きで、特にCM音楽の一時代を築き上げた立役者と言っても過言ではありません。これまでに手掛けた作品は、三ツ矢サイダーや不二家・ルックチョコレート、資生堂・サクセスサクセスをはじめとして、手掛けたCM音楽は何と3000曲近くあります。さらには、新進気鋭のアーティストだった山下達郎さんや坂本龍一さん、大滝詠一さんや矢沢永吉さん達を誰よりも早く起用した名プロデューサーでもあります。

若い頃からCMや音楽業界で大活躍をした大森昭和男さんですが、2018年3月にこの世を去られています。

大滝詠一さん、山下達郎さん、坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、矢野顕子さん、矢沢永吉さん、宇崎竜童さんなど、当時新進アーティストだった彼らをいち早く見出し、起用したプロデューサーとして知られています。

「三ツ矢サイダー」、「資生堂・サクセスサクセス」、「資生堂・君の瞳は10000ボルト」、「ミノルタ・今の君はピカピカに光って」、「不二家・ルックチョコレート」、「味の素ドレッシング・僕の贈りもの」、「住友金属・夜明け」など、多数の著名な作品を手がけています。

 




大森昭男さんとの離婚後の由紀さおり

大森昭男さんと離婚したときの由紀さおりさんの年齢は34歳でしたが、4年後の37歳のときに子宮筋腫を患った上に子宮内膜症も併発してしまます。

病魔に襲われた30代後半を過ごしました。

治療法について模索する中、病魔が発見された4年後、41歳の時に子宮の全摘出手術を行い、病魔を根絶します。

ホルモン治療で時間をかけて治療するという選択肢もンありました。しかし、ホルモン治療の影響で声が変わってしまう可能性があることを知り、ホルモン治療ではなく摘出手術を選択しました。

由紀さおりさんの声を一番に愛していた、実母を悲しませたくないという理由も大きかったようですね。

 




由紀さおりさんの夫!二人目!

子宮の全摘出手術を終えた後の1992年頃に、アメリカ在住の柴冨哲也さんと知り合い交際をはじめました。

柴冨哲也さんは、インターネット会社「ジェネシスピュアジャパン」の代表取締役社長を務めていた方です。

歌手を辞めて再婚し、渡米することも考えたそうですが、母から反対され、一度は断念しました。

きっと、由紀さおりさん自身も、歌手に未練があったと思われますね。大病を患いながら、声の為に治療法を制限したくらいですから。

又、大森昭男さんとの、離婚の理由の一つにも、芸能生活から離れられない事があったのですから。

しかし、1999年に由紀さおりさんの母親が亡くなりました。一周忌を終えた2000年に、柴冨哲也さんと由紀さおりさんは8年越しの恋を実らせ、事実婚の関係となりました。

ところが、由紀さおりさんは歌手活動を諦めて身を引くことはできませんでした。やはり、光り輝いた歌での名声を捨てきれなかったのでしょうね。もっと言えば、由紀さおりさんの透明感のある歌声は、日本のみならず、全世界の財産だと言えるでしょうね。そのことを感じたのかもしれないと、個人的には思っています。

歌手を諦められなかったことと、日本とアメリカという超遠距離の壁もあり、6年後の2006年に離別してしまいました。




由紀さおりさんの幸せは、歌えること!

母親が亡くなった後も、柴冨哲也さんとの事実婚は果たしたものの、結局はいわゆる「女性としての幸せ」よりも、「歌える幸せ」を選ばれたのですね。

ご本人の葛藤は、想像するに余りあると思いますが、結果的には、個人の幸せよりも、より多くの人々の幸せを選んで下さったと思いたいですね。




由紀さおりさんの子供は?

最初の夫である、大森昭男さんと由紀さおりさんの間には、子どもが居ませんでした。

2番目の事実婚の夫とも、子宮全摘の関係で、子どもには恵ませんでした。

子宮の全摘手術を受け、柴富哲也さんと離別した後に行われたインタビューで、由紀さおりさんは、「結局妻にも母にもなれなかった」と語っていました。

では、何故、由紀さおりさんの子供は誰?と言われるのでしょうか?

それは、実の姉である、安田祥子さんにお子さんがおられるからです。

歌手とは全く無縁の、アメリカでの国連関係のの仕事なので、有名にもなっていないようですね。

そのことで、由紀さおりさんの子供では?という噂が独り歩きしたみたいですね。




由紀さおりと安田祥子の関係は?

安田祥子(やすださちこ)は、由紀さおりの実姉です。

1950年代の小学校時代から、姉妹で童謡歌手として活躍していました。

1985年、互いに40歳前後の頃、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表されます。今でも、『童謡』と検索すると、由紀さおりと安田祥子の歌が出てきますね。

翌、1986年から童謡コンサートを始め、徐々に歌手活動を充実させてきました。

声楽家・童謡歌手・ソプラノ歌手 という肩書を持つ、安田祥子の歌声と、由紀さおりの歌声は、ともに美しく、実の姉妹という事も有って、「奇跡のデュエット」と言われたりもしましたね。

童謡歌手ですので、アニメの主題歌を歌う事も有りましたが、オリジナルの楽曲も手掛け、クラシックやスキャット曲でも定評がありますね。




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