演歌界の大御所と言っても過言ではない五木ひろしさん。75歳になった今も、現役バリバリですね。
五木ひろしさんの、元妻と言う言葉がネットで出ています。五木ひろしさんって、再婚だったのでしょうか?
ファンとしては気になりますね。
五木ひろし とは?
五木ひろしさんのプロフィール!
芸名:五木ひろし(いつきひろし)
本名:松山数夫(まつやまかずお)
出身:福井県三方郡美浜町
生年月日:1948年3月14日
職業:歌手、役者、俳優
鳴かず飛ばずの長い年月を経て1971年の再デビュー曲「よこはま・たそがれ」が大ヒット。 その後もヒットを出し続ける演歌界の大物歌手です。
2007年、紫綬褒章を受章しましたが、かなり苦労をされてきたことは有名ですね。
五木ひろしさんは、歌手の夢を持ち、1964年5月に上京ししました。その4ヶ月後の1964年9月、早くも第15回コロムビア全国歌謡コンクールにて優勝を果たします。それをきっかけに、コロムビアの専属歌手となりました。
五木ひろしさんは、「歌うミスター平凡」(雑誌『平凡』主催)に選抜されます。1965年6月に、「松山まさる」の芸名で、コロムビアから「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューしました。しかし、彼の後押しをしてくれた男性が同年8月に心臓発作で亡くなるという不幸に見舞われます。五木ひろしは、17歳で後ろ盾の人物を失います。その後、シングルを計6枚発売するもヒットに至らず、所謂、鳴かず飛ばずの時期を経験します。
そして、1967年に日本グラモフォンへ移籍しました。そして、都はるみや北島謙三らのスター歌手の前座をこなしたり、キャバレー回りをしたりして、仕事は大半が地方巡業だでした。
心機一転、1967年4月には、芸名を「一条英一」に改名して、ポリドール・レーベルから「俺を泣かせる夜の雨/流れ星(B面は愛田健二)」で再デビューを果たします。シングルを計3枚発売するもヒットせず、翌年には、プロダクションが倒産し契約も解除されます。
度重なる不幸続きで、仕事も貯蓄もなくなり、食べる物にも困る時代を過ごします。
同じアパートに住んでいたホステスから勧められ、銀座の高級クラブで歌い始目ます。1969年に、このクラブで作曲家の遠藤実を紹介された事から、ミノルフォントン契約することになりました。同年12月に、「三谷謙」に再び改名して、「雨のヨコハマ/東京 長崎 札幌」で再デビューを果たしますがヒットしませんでした。
デビューしてから約5年間の間に2度も芸名を変更するなど不遇の時代を過ごす。
1970年、故郷福井の放送局のプロデューサーの勧めで、よみうりテレビ制作のオーディション番組に、“三谷謙”として出場します。
このオーディション番組で、ゲスト審査員だった平尾昌晃氏に絶賛され(他の審査員は辛口だった)たことが、後の五木ひろしの運命を変えることになりました。又、2週目のゲスト審査員の山口洋子氏にも擁護される(他の審査員が酷評する中)ことになります。
その後、山口洋子が徳間康快を紹介します。徳間は、ミノルフォンを買収し、後に、徳間音工となります。その新会社の看板となる歌手に適任であると、山口が三谷謙(後の五木ひろし)を推したという事になります。
3月1971年3月に、五木ひろしとして、新しい芸名でミノルフォンから再デビューを果します。苗字の「五木」は山口洋子が五木寛之から頂いたそうです。
私は、てっきり、当時流行っていた、「五木の子守歌」からとったものだと思っていましたが、全く違っていましたね。
1971年と言えば、私はまだ小学5生。「五木の子守歌」しか思い浮かばなかったようですね。(笑)
でも、かろうじて、三谷謙の時の事は覚えています。五木ひろしに名前を変えたことで、「これはヒットするな!」と子ども心に記憶に残っています。
勿論、私のイメージ通り、五木ひろしに改名してからは、いっきに有名になりましたからね。
五木ひろしの元妻って誰?
私の調べたところ、五木ひろしさんの元妻と言われているのは、和由布子(かずゆうこ)さんと言いう方です。
和由布子(かずゆうこ)さんは、東京都出身で旧姓は富屋早知子です。1959年4月29日生まれです。五木ひろしと結婚して、本名は、松山早知子さんになりました。香蘭女学校を卒業されています。 1982年に、女優を目指すことを決意し、1983年に放送されたドラマ「波の塔」で女優デビューされました。その後、「海に降る雪」や「化粧」など数多くの作品に出演しています。 また、1984年に公開された映画、「化粧」では「日本アカデミー賞」新人俳優賞を受賞されています。
五木ひろしさんとのなれそめは、舞台での共演です。その舞台の競演で、五木ひろしさんが和由布子さんに一目惚れしたのです。五木ひろしさんの猛アタックを受け、交際に発展し、1989年に結婚に至りました。 和由布子さんは、結婚後、芸能界を引退し一般人として暮らし始めます。正に五木ひろしの縁の下の力持ちになったようですね。2人の結婚披露宴は、当時の芸能界史上最高額の費用をかけたと話題になりましたね。
11メートルの特大ケーキや、宝塚歌劇団を彷彿させるような階段もありました。そんな派手な結婚披露宴はなんと5億円もの費用がかかっていると言われています。 芸能人ならではの、結婚披露宴ですね。
この、五木ひろしの結婚披露宴が豪華に行われたことが、芸能人の結婚式が派手になってきたきっかけになったと言われていますね。
和由布子さんは現在、五木ひろしさんが所属する芸能事務所の社長をしているそうです。 五木ひろしさんは、株式会社五木プロモーションに所属いますが、そこの代表取締役になられていますね。
公私ともに、旦那、五木ひろしさんのサポートをしているんですね。
五木ひろしさんは、和由布子さんについて、おっしゃっています。
「(妻は)時には厳しく注意してくれる。栄養のバランスに気を配ったお弁当を持たせてくれる。 好きな歌を歌えるのは、彼女のおかげ。」と感謝を述べています。
また『歌手生活五十五周年「感謝の響宴」』でもこのようにおっしゃっています。
「女優を辞めて、私の仕事や子育てに頑張ってくれた女房には、感謝の気持ちでいっぱいです。」と。
五木ひろしの今の妻は誰?
五木ひろしさんの、今の妻は、和由布子(かずゆうこ)さんと言いう方です。
あれ?先ほどの、元妻と言われている方と同じですよね。
人は、同じですが、紹介の仕方が違いますよね。
だますつもりはないんです。
先ほどは、元妻と言われているのが、和由布子(かずゆうこ)さん。
今回は、今の妻が、和由布子(かずゆうこ)さん。
です。
同じ方なので、ご紹介は避けますね。
では、五木ひろしの今の妻が、何故元妻といわれるのでしょうか?
この謎は、和由布子(かずゆうこ)さんが結婚後に女優を辞められたことから来ているようですね。
五木ひろしは、元女優の妻である和由布子(かずゆうこ)と結婚した。
この文章の、女優の の部分が、短縮され?元妻 という言葉が独り歩きしたみたいですね。(笑)
流行の短縮言葉でしょうね。
しかし、これだけ話題になるという事が、又、このように誤った認識で、元妻という言葉が独り歩きすることが、五木ひろしの偉大さを示していると私は思いますね。
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