大瀧詠一急逝から10年死因は?大滝詠一の音楽遺産~[EACH TIME][君は天然色][幸せな結末][さらばシベリア鉄道]・ナイアガラレーベル設立!

シンガーソングライター

ミュージシャンの大滝詠一が亡くなって10年経ちました。

シティポップの代表格「A LONG  VACATION」(ロンバケ)で知られる大滝詠一。

森進一や 松田聖子、太田裕美に楽曲を提供した作曲家である大滝詠一。

山下達郎らを輩出したレーベル「ナイアガラ」の運営者であった大滝詠一。

プロデューサーでもあった大滝詠一。

様々な顔を持っていた大滝が残した豊かで底知れない 音楽遺産を、改めて振り返りたいとおもいます。




大滝詠一のプロフィール

1948年 7月28日、岩手県に生まれです。出生名は【大瀧榮一】です。
1970年 松本隆、細野晴臣、鈴木茂とともに「はっぴいえんど」のボーカル、ギターとして デビューしています。
1972年 初のソロアルバム「大瀧詠一」を発表しています。
1973年  「はっぴいえんど」解散。 CM 音楽を手掛けます。
1975年 自ら 設立したレーベル「ナイアガラ」第1弾として、山下達郎、大貫妙子 ら の バンド「シュガー・ベイブ」のアルバムを発売。 自身 2作目「ナイアガラ・ムーン」も 発売 します。
1981年  代表作「A LONG VACATION」発表します。
     松田聖子のアルバム「風立ちぬ」を作曲、プロデュースします。
1984年 発売延期を経て、最後のオリジナルアルバム「EACH TIME」を発表します。
1985年  「はっぴいえんど」が再結成ライブを行います。 生涯最後のライブになりました。
1997年  新曲「幸せな結末」を発表し 大ヒットします。
2003年  シングル「恋する二人」発表しました。結果的に生涯最後の曲になりました。
2013年 12月30日に65歳で死去されています。




大瀧詠一の死因は?

2013年12月30日に午後7時ごろ、ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなりました。年齢は、65歳でした。

大滝詠一はリンゴを喉に詰まらせた窒息死?

 2013年12月30日に午後7時ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れた大瀧詠一さんは、倒れた当時、自宅で家族と一緒にいて、リンゴを食べていたそです。奥様の静子さんが、次のリンゴの皮を剝いていた時に、突然倒れたという事だそうです。
 そのため、リンゴをのどに詰まらせて窒息死したのではと思われました。
病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時リンゴを食べていたが、とつぜん倒れたという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。

 

大瀧詠一はの死因は死因は解離性動脈瘤?

自宅で倒れた後、病院に運ばれたが帰らぬ人となりました。警視庁福生署などによると、大滝さんはリンゴをのどに詰まらせたのではないようです。所属レコード会社によると、死因は解離性動脈瘤(りゅう)ということです。

解離性大動脈瘤とは?

 解離性大動脈瘤は、大動脈解離とよく似て言います。

 大動脈は、外膜、中膜、内膜の3層構造となっており、十分な強さと弾力を持っていますが、なんらかの原因で内側にある内膜に裂け目ができ、その外側の中膜の中に血液が入り込んで長軸方向に大動脈が裂けることを大動脈解離といいます。

原因は不明ですが、動脈硬化や高血圧が関係しているともいわれています。マルファン症候群などの大動脈の中膜が弱い先天性(生まれつき)の病気との関係も知られています。

中膜に流れ込んだ血液は、新たな血液の流れ道(解離腔または偽腔)をつくり、それによって血管が膨らんだ状態を解離性大動脈瘤(大動脈解離)といいます。外側には外膜一枚しかないため、破裂の危険性を伴います。




大滝詠一の豊かな音楽遺産~【君は天然色】

曲 名:「君は天然色」(きみはてんねんしょく)

発売日:1981年3月21日 大滝詠一通算7作目のシングル

作 詞:松本隆

作 曲:大瀧詠一

歌い出:「くちびる つんと尖らせて、何かたくらむ 表情は」

TOPIX:

作詞は『A LONG VACATION』収録の他の曲同様松本隆へ依頼したが、松本隆は仲の良かった妹を病気で亡くし、スランプに陥っていたため制作が遅れていました。

松本が、立ち直り、この作詞が出来上がったのは、構想から半年経過していました。

松本は、妹を失ったどん底の精神状況で見た街の色から「想い出はモノクローム」というフレーズを思いついたそうです。それに続く「色を点けてくれ」という詞も「人(妹)が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしいとの願いだった」ということらしいのです。

松本隆さんにとっては、妹さんに込めた思いの強い歌になったようですね。




大瀧詠一の豊かな音楽遺産~幸せな結末

曲名:「幸せな結末」(しあわせなけつまつ)

発売日:1997年11月12日 大滝詠一の通算14枚目のシングル

作詞:多幸福

作曲:大瀧詠一

歌い出:「髪をほどいた 君の仕草が、泣いていいるようで 胸が騒ぐよ」

TOPIX:

ドラマ『ロングバケーション』主題歌になった。木村拓哉が主演、松たか子が出演したことで、当時大人気のドラマになり、『幸せな結末』は大ヒットしました。」




大滝詠一の豊かな音楽遺産~さらばシベリア鉄道

曲 名:「さらばシベリア鉄道」(さらばシベリアてつどう)

発売日:1980年11月21日

作 詞:松本隆

作 曲:大瀧詠一

TOPIX:

太田裕美に提供された曲。1981年3月21日に、大瀧詠一自身が、セルフカヴァーしている。




大瀧詠一の豊かな音楽遺産~楽曲は二つに大別される!

メロディー・タイプ

大滝 作品は、「ロンバケ」に代表される、アメリカンポップスに影響を受けた美しいメロディーを抜群の歌唱力で歌う「メロディー・タイプ」の曲を多く作っています。

1969年~1972年、「はっぴいえんど」を設立し、日本語ロックを切り開いてきました。

しかし、1973年には、「はっぴいえんど」を解散しています。

ノベルティ・タイプ

一方、「ノベルティ・タイプ」は、言葉遊びやジョークを多用した実験的な楽曲も多く作っています。




大滝詠一が【ナイアガラ・レーベル】を設立!

ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベルです。

大滝詠一が自身の1stソロ・アルバム『大瀧詠一』の原盤管理に関して、ベルウッド(キングレコード)に疑問を抱いたことが発端になったと言われています。同社ベルウッド(キングレコード)ではマスターテープ以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていました。

つまり、レコード会社から「商品価値無し」「売れない」とレッテルと貼られた楽曲のマスター音源は、永遠にこの世から消え去る運命にあったのです。

アルバム「大瀧詠一」の1995年にCDで再発された際の収録曲のシングルバージョン以外のアルバム収録曲の未発表音源は、テープを大滝が個人で所有していた為収録が出来たのです。

つまり、未発表音源のテープは、アーティスト自身が持ち帰って個人所持しないと廃棄されてしまうのです。

実際、キングレコードにアルバム「大瀧詠一」のマルチ音源はなく、レコードに収録された2チャンのマスターテープしか残されていなかったのです。

大瀧詠一!ノベルティ・タイプを中心に活動!

大滝は「全ての音源を廃棄されずに守るには自分で原盤権を持たなければならない」と、自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、1974年に[ザ・ナイアガラ・エンタープライズ]という会社を設立しました。

これはアーティストが、如何に全てのマスター音源やマルチトラックの音源を失いたくないかが伺える出来事として評価されます。

[ザ・ナイアガラ・エンタープライズ]にはパシフィック音楽出版(PMP、現・フジパシフィックミュージック)も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになったくらいです

確かに、世に出なかった音源が、レコード会社によって廃棄されるというのはひどい話ですね。発売されるかどうかは、商業的な意味も含めて、レコード会社の意向ですから、アーティストにとっては「自分の子どもくらい大切な【楽曲】」を捨てられるのは耐えられないというのは当然ですよね。

 1974年、「ナイアガラ・レーベル」設立し、バンド 時代に出しきれなかった表現(主にノベルティ・タイプ)を追求するため、自宅に録音スタジオ を併設し、実験的かつ 先進的な ノベルティ作品を生み出しました。

 ニューオリンズ、マーチやルンバに、ユーモア溢れる詞をのせた楽曲を詰め込んだ「ナイアガラ・ムーン」、70年代当時、時代遅れと捉えられていたギターインスト曲を集めた「多羅尾伴内楽團」、音頭とパロディーを融合させた「レッツ・オンド・アゲイン」
 3年でアルバム 12枚 という レコード会社との契約に苦しめられながら放った趣味性の高い作品群は、一部の音楽通から熱烈に支持されたものの、商業的な成功は得られまぜんでした。
 「ノベルティ・タイプ」のレーベルは一時休止状態となります。

大瀧詠一!メロディー・タイプ 路線にかじを切る!

 復活後は「メロディー 路線」に舵を切るようになります。81年発表の「ロンバケ」は、バンド時代の盟友、松本隆史を作詞家に迎え、愛してやまない アメリカンポップスを土台にした甘美な作風で大ヒットします。 続編的位置づけの「EACH TIME」(84年)は最初で最後のチャート1位を記録しました。 一方、ラッツ&スターらが歌った「夢で逢えたら」、松田聖子「風立ちぬ」、小林旭「熱き心に」、太田裕美「さらばシベリア鉄道」などを作曲し、ラジオ DJ の顔も持っていました。日本のポピュラー音楽史を解説する「分母分子論」を発表したほか、映画、野球などへの 博識ぶりでも知られました。
 80年代後半以降は表にできる機会も減り、2001年に出すとしていたアルバム「2001年 ナイアガラの旅」も実現しないまま、13年12月30日 突然 亡くなりました 。

大滝詠一について山下達郎が語る!

 山下達郎はその人物像を「説明するには、ゆうに 三日三晩はかかります。 ですが 正直申し上げて、私にはお話する意欲があまりありません。(中略)なぜなら、あなた方が最後におっしゃる 言葉は決まっているからです。『世の中に そんな人間いるわけない!』」(大滝詠一「ベスト オールウェイズ」ブックレット より)と評した。
 にわかには信じられない、人間離れしたエピソードがたくさんあるのでしょうね。

大滝詠一について萩原健太が語る!

 音楽評論家の萩原健太は 大滝詠一の魅力を「ふざけっぱなしなのに、胸にキュンとくるものを作る。 両方の才能が混ざった、その大きさだ!」と指摘しています。「『ロンバケ』で大滝 音楽を認識した人が時代を遡ると『どうなってるの?』と思うかもしれないが、時系列 でたどると意外なことではないとわかる。 はっぴいえんどから『EACH TIME』までの15年を、順番に聞いていくと面白いだろう」と語りました。




『EACH TIME 40th Anniversary Edition』が発売!

 大滝詠一最後のオリジナルアルバム「EACH TIME」が今年で発売 40年 となり、記念盤が2024年3月21日に、ソニーから発売されました。限定版のボックスセットや 通常版CD には、ラジオで一度だけ放送されたものの未発売だった「SHUFFLE OFF」、大滝詠一 本人が作品解説するラジオ番組など、貴重な 音源を多数収録しています。

 発売当時盤は全曲の作詞を 松本隆 が担い、キュートなポップナンバー「魔法の瞳」や、様々な音をサンプリングで織り交ぜた「恋のナックルボール」などを収録しています。 萩原はその魅力を「ウィットで叙情的な描写が得意な 松本さん、ドライな音の実験を追求した 大滝詠一さん。 それらを共存させたのが『ロンバケ』で、『EACH TIME』は、それらの表現をさらに深めている」と分析しています。
 発売当時は 9曲入りだったが、その後、11曲に増え、また9曲に戻す など 再発売の度に 曲数や 曲順が変わり、「未完の作品」と言われています。今回の記念盤は13曲入りだそうです。萩原は「最初の9曲入りが唯一の正解と思っていい。」と語る一方、「それに 大滝さんがしっくり来ていたいなかったのも事実。 存命だったらまた変えていた可能性もある。」と語っています。
 大滝詠一の没後、楽曲を1曲ずつ自由に聴ける サブスクリプションサービスが普及し、アルバム単位で聞く習慣が揺らいでいます。 萩原はこうした状況を鑑み、大滝詠一は 示唆的だった と受け止めています。「大滝さんは40年前の時点で40年前の時点で、将来 リスナーが自由に 曲順を入れ替える 聴き方 を予見してのいたのでは。 様々なバージョンも、今回の記念盤も、プレイリストを作るための素材と考えるとより楽しめる。」そのように語られる記念盤になっているという事です。

 




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