歌謡界で多くのヒット曲を送り出してきた人気歌手、高橋真梨子さんの人生について探っていきたいと思います。
高橋真梨子さんは、素晴らしい歌唱力と個性的で美しい歌声で有名ですね。
高橋真梨子さんとは?
高橋まり子さんは数々のヒット曲を世に送り出した人気歌手です。代表曲には「桃色ト」や「ごめんね」などがあります。
テレビにはあまり出演しないことで知られていますが、2016年に紅白歌合戦に出場し、その際の激痩せした姿が話題となりました。
高橋真梨子さんプロフィール
出生名:森岡まり子
旧芸名:高橋まり
生年月日:1949年3月6日
出生地:広島県廿日市市
育成地:福岡県福岡市
最終学歴:駒沢学園女子高等学校卒業
本名:広瀬まり子
高橋真梨子さん音楽界略歴
高橋まり子さんは、1966年、17歳の時にスクールメイツの一員としてデビューしましたが、すぐに脱退しています。
高橋まり子さんは、約6年間、博多のクラブやディスコで歌う日々が続きました。
その後、1972年にペドロ&カプリシャスに2代目ボーカルとして加入し、注目を集めます。
実は、筆者は、この時12歳だったのですが、高橋真梨子さんの歌声は衝撃的でした。パンチがあり力強いのに優しさ溢れる歌声にとりこになりました。
NHK歌のグランプリにも出場し、徐々に人気を博するようになりました。
1978年にソロデビューし、桃色トなどのヒット曲を連発して人気歌手の地位を築き上げてきました。
高橋真梨子さんの家族
高橋真梨子の父:森岡月夫
父・森岡月夫は広島鉄道局に勤務していた。1945年8月6日、米軍の原子爆弾投下により被爆しました。
1949年に、まり子が生まれました。
終戦後、月夫は国鉄を辞めて、プロのジャズクラリネット奏者を目指します。
父:月夫は、朝鮮戦争下で米軍基地が多くジャズが盛んであった福岡に移り住みます。
父:月夫は、博多でジャズバンド「九州ナイト」のクラリネット奏者として活動しました。
1952年(まり子が3歳の時)、月夫は、足の指先から腐っていく脱疽の症状が出て病状が悪化し、働くことが出来なくなったそうです。これは、原爆症の一つだと言われています。広島で被曝したことが、ここでも、月夫の人生を狂わせます。
働くことができなくなった月夫の為に、母親がスナックを経営するも、治療費がかさみ、それが原因で夫婦喧嘩が増え、1954年に、月夫は妻と別居します。
月夫は、離婚後、単身、昔の仲間がいる広島に戻ります。
月夫の唯一の喜びは、まり子がお父さんっ子だったため、度度、学校休みの日に逢いに来てくれる事だったようです。
1959年、月夫は、両脚義足でスクーターを運転し、広島から博多までまり子に会いにやって来ました。母親はお店からなかなか帰宅せず、父は娘の前で酒をあおり、母から再婚を拒否されたことを話し泣いたそうです。
その時、まり子は、
「まり子が【渡辺プロダクション】に入って、歌手になってお金を儲けてあげるから」と父を慰めたという話は有名です。
本当に、お父さんっ子だったのですね。
父:月夫は広島市内のクラブで義足のジャズプレイヤーとして働いたのですが、入市被爆が原因で、長らく後遺症に苦しんだのち37歳で亡くなったそうです。
高橋真梨子の母は、元ダンサー
母:髙橋千鶴子は、広島のダンスホールで父:月夫に出会い、結婚します。
1949年に、まり子を出産しますが、父が福岡に移住するのを機に、千鶴子はまり子を連れて、1950年に福岡に移住します。
その後、月夫は、クラリネット奏者として活動しましたが、1952年の頃から、父は原爆後遺症と言われる、脱疽の症状が出て病状が悪化し、働くことができなくなります。
母:千鶴子は、中洲でスナック「森岡」を経営し、ホステスとして働き家計を支えましたが、母の収入のほとんどは高額な痛み止めなど、父親の治療費に消えたという事です。その為、夫婦ゲンカが絶えなくなり5歳の時に両親は別居します。
父:月夫は昔の仲間がいる広島に戻りますが、まり子は母:千鶴子と博多に残る事になりました。
まり子は、不倫をしていた母が許せず、長い間に渡って恨み続けたと言われています。中高生時代には母が自分に触れることすら許せなかったと述懐しています。思春期の女の子にはよくあることですよね。
父は広島市内のクラブでジャズプレイヤーとして働いたが、入市被爆が原因で長らく後遺症に苦しんだのち37歳で亡くなったそうです。
この時、母:千鶴子はまり子に泣きながら抱きついたが、それをも振り切ったということです。それほど、母の不倫を許せなかったのでしょうね。
高橋真梨子の現在の活動
圧倒的歌唱力で聴く人を魅了してきた、歌手の高橋真梨子(たかはしまりこ)さん。
2024年現在は仕事量を減らしていますが、年末のディナーショーは行う予定だそうです。
又、復帰コンサートも主要都市で行うことが、2024年5月15日の新聞の1ページ全面広告で発表されましたね。
【高橋真梨子 全国コンサートツアー アンコール公演決定!】
一時期は引退されていましたが、この復帰コンサートは楽しみで仕方ありませんね。
高橋真梨子の病気
2016年の紅白歌合戦に出場した際、高橋まり子さんの体重は33kgだったと言われていて、ファンから心配の声が上がっていました。
激ヤセの原因は、長年にわたって心に抱えていた苦しみや悲しみによるトラウマによるものだそうです。一時は外出もままならないほどの症状に襲われましたが、夫のヘンリー広瀬さんが支えてくれ、食事ができるまで回復しました。
高橋真梨子は47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなったといいます。
その後も、「めまい」や「手足のしびれ」といった病状に襲われ、ろくに外にも出られなくなってしまったということです。
何とか病院を受診し、診断してもらった結果、がんではなく重度の更年期障害だったことが判明。
高橋真梨子は当時の苦しかった状況をこのように説明しています。
「仕事が生きがいでしたので…仕事ができなくなるんじゃないか、激痩せして生きていけなくなるんじゃないか…」
夫のヘンリー広瀬氏も、「夫婦で一緒にいて、初めて、助けを求められた。」と語っています。
それほどまでに、苦しかったのですね。又、考えようによっては、今まで、夫に助けを求めることが無かったという事ですね。
その後の高橋真梨子は病気が原因で、ぼんやりとふさぎ込む毎日を過ごしています。
私は、更年期障害の経験はありませんが、母や妻の話を聞いていると、かなり精神的にも不安定になるようですね。
高橋真梨子は引退したのか?
2023年には最後のツアーとされた最終公演が行われましたが、引退ではなく一区切りとしてから離れる決断をしました。ただし、再開する日を待ちながら前向きに生きていくと語っています。
そして、2024年5月には、復帰コンサートが全国で行われることが新聞の広告一面で発表されましたね。
高橋真梨子の引退理由
高橋真梨子はがんなのか?
高橋真梨子(たかはしまりこ)さんの病名は、「がん」ではないかと噂されましたが、がんではなかったという事です。
高橋真梨子の夫!
高橋まり子さんのご主人はバンド「ペドロ&カプリシャス」の元メンバーでありプロデューサーでもあるヘンリー広瀬さんです。2人は同棲を経て結婚し、結婚から20年以上が経ちます。
ヘンリー広瀬さんは、高橋まり子さんが更年期障害でうつ状態が続いたことが心配で、心配で、「一時も(まり子さんから)離れられなかった」と語っておられます。
高橋真梨子の娘
高橋まり子さん夫妻には子供はいませんが、お互いの活動を支え合いながら幸せな結婚生活を送っています。
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