辻井伸行さんは、わずか17歳で、世界屈指のピアノコンクールである「ショパンコンクール」に出演され、初出場で初受賞をされた、名ピアニストです。
辻井伸行さんの才能と努力は勿論ですが、やはり、快挙を支えた人々がいたのも事実です。
辻井伸行氏の母、いつ子氏の回想を読みながら、私なりに知りえた情報も含めながら、辻井伸行氏のショパンコンクール初出場を支えた人物にフォーカスしてまとめてみたいと思います。
辻井伸行氏とは
辻井伸行さんは、生まれつき目が見えない為、「盲目のピアニスト」と称されています。
お母様のいつ子さんが、生後間もない辻井伸行さんに、ショパンの「英雄 ポロネーズ」のCDを聞かせた話は有名です。
そもそも、まだ、一人で歩けないような幼子に、「英雄ポロネーズ」のCDを聞かせたいつ子さんに驚きですね。
そして、それを聞いて、足をバタバタさせて喜んだ辻井伸行さん。その後、異なる演奏家の「英雄ポロネーズ」のCDを聞かせたところ。反応を示さなかった辻井伸行さん。
それに、気づいたいつ子さん。
辻井伸行さんという、目が見えない故に、音に対して豊かな感性を身に付けた人物の存在が大きいと思います。
辻井伸行氏は、ショパンコンクールに初出演で初受賞と言う快挙!
川上先生とともに臨んだのが、世界最高峰の一つ「ショパン国際ピアノ・コンクール」です。生後8ヵ月で「英雄ポロネーズ」に夢中になった伸行にとって、ショパンは思い入れのある作曲家です。昔から出場したがっていた憧れの舞台ではありましたが、いくつもの難題がありました。
常識よりも子どもの気持ち
伸行は当時、17歳でした。ショパン・コンクールの出場資格は、17歳以上28歳以下(当時)です。最年少ということは、当然、他の出場者のほうが経験や実力が上です。また、こうしたコンクールに出場する演奏家は、国内外の有名なコンクールで入賞経験がある人がエントリーするというのがピアノ界の「常識」でした。伸行は10歳の時に出場した「ピティナ・ピアノコンペティション」で金賞をいただいた以外はこれといったコンクールには出場していませんでした。次回の開催は5年後で、それまで待つという選択肢もあったのです。
それでも、最終的に出場を決断したのは、他ならぬ伸行が強く希望したことと、「常識」にとらわれていては何もできないと思ったからです。私にとっては常識よりも伸行の気持ちのほうが大事でしたし、「行動を起こせば結果はついてくる」と思っていました。もちろん、いい結果が出るとは限りませんが、ポジティブに考えていけば、新たな道が開けると信じていました。
ショパン・コンクール本番です。2次予選で演奏した際は、コンクールであるにもかかわらずカーテンコールが4回も起きたのです。周囲の誰もが、伸行が2次予選を通過しファイナリストに選ばれると思っていました。しかし、発表されたなかに伸行の番号はありませんでした。
川上先生をはじめとする関係者の方々はとても悔しがっていましたが、伸行は「みんな何を泣いているの?僕は平気だよ。また、次頑張ればいいよ」と明るく言いました。伸行は、大好きなショパンのコンクールで演奏できたことを、本当に楽しんでいたのです。
私は、伸行から大事なことを教えられたようで、ハッとしました。
そして、ここから思わぬことが起きたのです。
伸行が出場した2005年のショパンコンクールは、初めてインターネットを通じて世界中に会場の模様が中継された年でもありました。伸行がファイナリストになれないと分かった瞬間、「なぜ、ツジイがファイナリストではないのか」という抗議が世界中からコンクールの事務局に寄せられたそうです。
帰国後、ポーランドの事務局から伸行に「ポーランド批評家賞」を受賞したとの知らせが届きました。「常識」にとらわれて、出場を先延ばししていたら、この栄誉もなかったでしょう。
引用元:DIAMOND on-line
正に、困難な壁を乗り越えてのJ初出場でした。その後、コンクールでは、第二次予選での敗退という絶望の淵からの、カーテンコールを4回。インターネット配信からの全世界を味方につけての、コンクール終了後の異例の「ポーランド批評家賞」受賞!。
無欲で、ショパンコンクールに出演できたことを喜んだ、辻井伸行氏の快挙だと思います。
辻井伸行氏がショパンコンクールで初出場&初受賞!快挙を支えた人々!
辻井いつ子氏の気付き!
辻井伸行さんの才能に気づき、それを伸ばしてきた辻井いつ子さんの功績はとても大きいと思います。
・才能に気づいた!
お母様のいつ子さんが、ショパンの「英雄 ポロネーズ」を聞かせた話は有名です。そもそも、まだ、一人で歩けないような幼子に、「英雄ポロネーズ」を聞かせたいつ子さんに驚きですね。
そして、それを聞いて、足をバタバタさせて喜んだ辻井伸行さん。違う演奏家の「英雄ポロネーズ」には反応を示さなかった辻井伸行さん。
それに、気づいたいつ子さん。
辻井伸行氏の母いつ子さんが伸行氏に見た音楽家の可能性!と信じたこと!
全盲の世界的ピアニスト、辻井伸行氏がピアノ界のレジェンドと呼ばれるようになって久しい。 言葉もまだ余り話せない、自分の気持ちも伝えられない伸行氏がお持ちの音楽に対する興味を見逃さず、伸行氏はいつ子氏に導かれるように音楽に邁進した。 ...
佐渡裕氏に認められ!
佐渡裕氏(世界的な指揮者)は、14歳(中学生)だった辻井伸行氏に、パリの伝統あるコンサートホール「サル・ガボー」でのラムルー管弦楽団の定期演奏会に招いたのです。
そして、佐渡さん指揮のもと、辻井伸行さんのパリで初の演奏が実現しました。日本国内においても、佐渡裕氏が芸術監督を務める「兵庫芸術文化センター」のコンサートに呼ばれました。
佐渡裕氏は、辻井伸行氏をリスペクトし、メジャーな舞台に立つことを応援して来られたのです。
辻井伸行氏がプロデビューした後にも、一緒にCDを出しておられました。
さて、辻井伸行氏の才能は、何故、佐渡裕氏に知られるようになったのでしょう。
そこには、辻井いつ子氏の功績が大きいと言われています。
辻井いつ子氏は、親しくしていたライターさんが佐渡裕氏のお知り合いだと知り、辻井伸行氏の演奏テープを佐渡裕氏に聴いて貰うようにお願いしたそうです。
辻井伸行氏の素晴らしい才能は言うに及ばず、辻井いつ子氏の積極的な行動が「世界の佐渡裕」との繋がりをもたらしました。
佐渡裕氏は、辻井伸行氏の演奏テープを聴いて、「すぐに本人に会いたい!」と思われたそうです。
その後、演奏会後の佐渡さんの楽屋を訪ねた中学1年生の辻井伸行氏は備え付けのアップライトのピアノで演奏したそうです。佐渡裕氏は、辻井伸行氏の演奏を聴き、涙を流して喜んだそうです。この時以降、辻井伸行氏との関係が続いているそうです。
三枝成彰氏との出会い!
三枝成彰氏との出会いも、辻井伸行氏の飛躍に大きく貢献しています。
三枝成彰氏との出会いのきっかけになったのが、モスクワ音楽院教授のワレリー・カステルスキー先生との出会いです。
「将来アーティストを目指す人のためのコンサートをモスクワで開催。出場者募集中」
との情報を目にした辻井いつ子氏が、辻井伸行氏を参加させたことが発端のようです。
カステルスキー先生に認めら、演奏会への出場が決定しました。辻井伸行氏にとって初めての海外遠征でしたが、満足のいく演奏ができたようです。カステルスキー先生からも「ノブユキ(辻井伸行)は演奏がうまいだけでなく、音と心が美しい」とお褒めの言葉をいただきました。
そして、その縁で出会ったのが、作曲家の三枝成彰先生です。
三枝先生はご自身が企画した数多くのコンサートに辻井伸行氏を出演させました。
辻井伸行氏は、佐渡裕氏や三枝成彰氏から、演奏の機会を得ることで、技術の習得は勿論、舞台度胸もついたのだと思われます。
辻井伸行氏は、成功体験を多く経験する事が出来たのだと思います。
川上昌裕氏にレッスンを受け!
辻井伸行氏が、一番濃密な時間を過ごしたのが東京音楽大学の川上昌裕先生です。
東京音楽大学(ピアノ演奏家コース)と、ウィーン・コンセルヴァトリウム私立音楽大学を共に首席で卒業された方です。
ピアノ演奏家として、も国際大会で4位に入賞された方です。
川上昌裕先生は、辻井伸行氏が小学校に入学してから大学進学の時期まで、週2回のペースでレッスンをされた方です。
一般的に、良きプレイヤーは、必ずしも良き指導者とは限らないと言われますが、川上昌裕先生は、良きピアノプレイヤーでありながら、良きピアノ指導者のようです。
先日、偶然にも、私の本業でのお客様に、東京音楽大学のピアノ科の学生さんがおられました。
私は、音楽のプロではありませんが、音楽大好きですので、お話ししたところです。
親戚に全盲でピアノを頑張っている小学生が居ること、また、その小学生に生後間もなくおもちゃのピアノをプレゼントしたことを話しましたら、「私、辻井伸行氏の先生に今、ピアノを習って居るんです。」と誇らしそうに話してくださったのです。
その女学生の方は、川上昌裕先生を指導者としてのみではなく、人として尊敬されて居ることが、ヒシヒシと感じられました。
辻井伸行氏が、川上昌裕先生とともに臨んだのが、世界最高峰の一つである「ショパン国際ピアノ・コンクール」です。
伸行辻井伸行氏にとって、ショパンは生後八ヶ月で触れた、大好きな、思い出深い作曲家です。ショパンコンクールは、辻井伸行氏の憧れの舞台ではありましたが、たくさんの問題点がありました。
・ショパン・コンクールの出場資格は、17歳以上28歳以下(当時)です。辻井伸行氏は当時17歳(最年少)でした。他のコンクール出場者のほうが経験や実力が上です。
・また、こうしたコンクールに出場する演奏家は、国内外の有名なコンクールで入賞経験がある人がエントリーするというのがピアノ界の「常識」でした。辻井伸行氏は10歳の時に出場した「ピティナ・ピアノコンペティション」で金賞をいただいただけです。
それでも、二つのハンディキャップを背負いながらも、ショパンコンクール出場を果たせたのは、辻井伸行氏の信念と、川上昌裕先生のご指導と後押しがあったからだと思います。
ショパン・コンクール本番の二次予選では、カーテンコールが4回も起きたにもかかわらず、辻井伸行氏は、ファイナリストに選出されませんでした。
しかし、奇跡的な事が起こったのです。辻井伸行氏が出場した2005年のショパンコンクールの模様は、インターネットで世界中に配信されました。
辻井伸行氏がファイナリストになれないと分かった瞬間から、「なぜ、ツジイがファイナリストではないのか」という抗議が世界中からコンクールの事務局に寄せられたそうです。
辻井伸行氏の帰国後、ポーランドのショパンコンクール事務局から辻井伸行氏に知らせが届きました。
「ポーランド批評家賞」を受賞したとの知らせです。
勿論、この「ポーランド批評家賞」は、インターネット配信を観た・聴いた方々の数々の抗議のお陰といえるでしょう!
しかし、私は、この、ショパンコンクールに出場する為に、ご尽力された川上昌裕先生の功績があったからだと、強く思います!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
https://singer-song-music.com/tujiinobuyuki-kekkonnaite-dare-215
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