さだまさしの「償い」が名曲だと言われる理由!実話に基づいている歌詞?

「償い」は、さだまさしさんの数々の楽曲の中でも、特別な名曲であると思います。
 交通死亡事故を起こした若者が、償いを始め、7年もの歳月を経て、やっと被害者夫人から一旦許されるという過程を短編小説のように作られた曲だからです。




さだまさしさんの略歴

では、「償い」という曲を作った さだまさしさんとはどんな人物なのでしょうか?

本当に多彩な能力をお持ちなので、簡潔に伝える事は難しいのですが、私の興味関心に任せて、まとめてみました。

さだまさし(本名:佐田雅志)(1952年4月10日生まれ)は、日本のシンガーソングライターです。その他に、タレント、小説家、國學院大學、東京芸術大学客員教授、の顔もお持ちです。

1972年に、フォークデュオの「グレープ」というグループでメジャーデビューしました。2枚目のシングル曲「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになりました。

(当時は、たくさんのアルバムを出して、私もお金持ちの知人にカセットテープに録音してもらい、全てのアルバムを聴いたものです。また、ダブルカセットで、お気に入りテープを作り、何回も聴いたものです。)

ソロシンガーになってからも「雨やどり」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」「主人公」「療養所(サナトリウム)」など、数々のヒット曲を生み出しました。

(私のお気に入りの曲ばかり並べましたが)

2019年時点で、ソロ・コンサートを開催した日本人歌手として、最高の4400回以上を数えています。

何と、さだまさしさんが手掛けた曲の総数は、600曲を超えてるようです。

彼の作詞には、日常にありがちな出来事にスポットをあてています。人間味ある優しい視点で詩や小説のような作詞になっていますので、音楽作品としてではなく、文学作品としても楽しめる事が、多くの人々の納得や共感が得られる要因になっていると思われます

箇条書きにまとめると、

・詩や短編小説のような作詞。

(言わば、600編の短編小説家)

・詩の朗読のような感情移入の語り口。

(言わば、600の詩の朗読)

・音域(特に高音域)の広い歌唱。

(言わば、600の持ち歌)

・映画になったら、BGMに適したような作曲。

(言わば、600曲の作曲家)

・さださん自身が関わる多彩な楽器演奏。

(言わば、600種類の演奏)

・コンサートを盛り上げる軽妙なトーク。

等で、マルチタレントぶりを発揮されてます。

さだまさしさん自身で、全ての曲の 作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏に関わっています。

更に、様々なジャンルのテレビ・ラジオ番組でも活躍されています。コンサートでは、温かい人間味溢れるお話を、深い心遣いと軽快なトークで発信されたりもしています。

小説家・映画監督としても活動するなど、特に、言葉と音楽に関してはまさに、マルチな才能をお持ちです。

この場では、不必要な事かも知れませんが、大学や大学院での客員教授もされています。

「償い」は1982年にアルバム「夢の轍」に収録された曲です。

まず、歌詞をご紹介致します。

 同じ言葉のリフレインが続きますが、そこに、さだまさしさんの意図を想像することが、より深く理解できると思います。

さださんではありませんが、同じ言葉のリフレインは、二回繰というものます。ということは、一回目と二回目は異なる解釈を求めているというのが一般的だということです。そのことを想像して読んでいただけると、この詩の深みと重みというものが理解しやすいと思います。

あなたの感性で、読んでいただけたらと思います。




さだまさし「償い」の歌詞が道徳的だという実話?

哀しく儚い実話から始まる話が道徳的!

 過ちとは言え、人を殺めてしまい、それを償った若者の実話を元にしているのです。

加害者の気持ちに寄り添う話が道徳的!

  加害者の若者は、被害者遺族の前では、一切言い訳をせずに、ひたすら、償いを続ける。
 また、加害者は会社の同僚にも、言い訳をせず、明るく対応している。

被害者の気持ちに寄り添う話が道徳的!

 被害者遺族の夫人の辛辣な言葉の後、7年後に、加害者を「赦す」の夫人の言葉を紹介している異に、私はさだまさしさんの深い愛情を感じます。

最後に希望が見える結末が道徳的!

 勇気を出して、手紙を送った夫人。
 手紙を受け取った若者の流した涙。
 100%ではないかも知れないが、お互いに過去の出来事を、「赦した」 「赦された」 と思え、希望が湧いてきます。

「償い」が裁判で取りあげられている事実と理由が話題になっている。

 「償い」が、運転免許試験場や裁判所などで使われている事例があること。その目的が、過ちを犯す抑止力、犯した過ちに対する償いの気持ち、過ちを犯した人の更生の為、更には過ちを犯した人を赦す被害者の心のあり方等を考えさせる実話として使われている事実があるからだと思います。
ぼかした罪は、消えない。しかし、一生懸命、償う気持ちが、被害者に伝われば、被害者にも気持ちが伝わる。
 道徳の教材には、こういった、事実に基づいた話が取り上げられることが多いと思います。




「償い」の歌詞はさだまさし氏の身近で起きた実話

「償い」の内容は実際にさだまさし氏の知人に起こった実話だそうです。

この歌が最初に世に出たのは1982年のことです。彼の知人の女性の夫が定年を迎えました。これからは夫婦静かに暮らしていこうとしていた矢先、夫は交通事故で命を落としました。加害者の若者を被害者夫人は酷く罵り、加害者の若者は床に額を押し付けながらそれを聞いていたそうです

「償い」の歌詞の前半には、より具体的に、被害者夫人の言葉まで歌詞になっていますね。

多分、被害者夫人の了解も得ていると思います。

さだまさし氏は、この実話を受けてすぐに作曲・作詞に取り組んだそうです。従って、1982年時点では現在知られている歌のように、7年間に及ぶ償いとその後のエピソードはまだ無かったそうです。

(実は、最初に取り組んだ頃の歌詞を見つけることができませんでした)

さだまさし氏は1982年の実話に、7年後のエピソードを付け加えることにより、この若者に明るい展望を感じさせ、また、歌詞に触れる人々にも希望を見いだすことになったと思います。

もしも、7年後のエピソードがなければ、「償い」と言う曲は、これほどまで、多くの人に愛されなかったでしょう。

さだまさしさんの曲のほとんど全てに言える事ですが、最終的には希望を持てる展開の内容になっている事が特長だと思います。

私は、そんなさださんの歌が大好きです。

哀しい・不幸なストーリーがあるからこそ、希望をもてる結末がより高められる。

ピアニッシモからフォルティシモにモチベーションを高めるような感じですかね。

「償い」の歌詞の背景にある哀しい過去

歌詞に登場する「ゆうちゃん」は、さだまさしの友人だとされているようです。「たった一度だけ哀しい過ち」とは、配達仕事中に死亡事故を起こしてしまいます。

事故の原因は、ゆうちゃんの過労と視界不良の雨天の影響の為だとか?過労の為か雨天時の視界不良の為か、歩行者の発見が遅れ、更に反応時間の遅れからか、ブレーキが間に合わなかったようです。更に雨天の為、ブレーキの効きやタイヤの摩擦係数が悪かったのかも知れないとも思われます。今の道路交通法に則れば運転者の過失ではありますが、まさしく不幸な出来事になってしまいました。

しかし、愛する夫(当時60歳代)を失った被害者のご夫人さんは「人殺し。あんたを許さない。」とゆうちゃんを罵ります。被害者感情としては当然だとはおもいますが、とても悲しい出来事になってしまいました。(その言葉を発したご夫人さんも含めて)

それでも、ゆうちゃんは、本当の事情を隠してニコニコ笑いながら過ごせる人でした。

(自分の過ちは自分で決着をつける)

(無関係の人には、同情されたくない)

(被害者の奥さんに対する申し訳なさ)

等があったのでしょう。

一切、愚痴をこぼさず、気丈に振る舞い、真面目に働き、できる限りの償いをする。

ゆうちゃんは、被害者の遺族に対しては勿論、周囲の人々にも気を遣わさないように考える優しい人柄であると思われます。

彼は被害者夫人に対する償いのために、人が変わったように働いて働いて、毎月仕送りを続けます。給料袋の封も切らずに。

今までの貯金で生活し、これからの労働対価は、全て、被害者夫人に支払う事で、自分の過ちを反省し、償う事を選んだのでしょう。

並大抵の事ではありません。

たった一度の交通事故により、命を失った被害者はもとより、被害者夫人の人生とゆうちゃんの人生も大きく狂ってしまったということですね。

情報にはありませんが、被害者夫人のその他のご親族やゆうちゃんのご家族にまで思いを馳せると、交通事故が多くの人々の人生を狂わせる事が理解できる気がします





さだまさし「償い」の哀しさの中にある愛に満ちた歌詞 ~人間のやさしさとは?

「償い」の歌詞にある物語には、人間の優しさに満ち溢れていると感じざるを得ません。

一時は、怒りと悲しさに任せて、被害者夫人がゆうちゃんに残酷な言葉を投げかけますが、突然の事故で最愛の夫を奪われたのですから、やむを得ないと私は思います。

「起こった事は仕方ありません。主人の運命です。故意ではないのですから。」なんて言葉が、被害者夫人から出てたならば、ご主人は浮かばれないと思いますし、私は、偽善を感じてしまいそうです。(小さい人間ですから)

私が過去に出会った人の話も紹介させて下さい。

私は小学校教諭をしていたのですが、

小学校6年生の時に、大好きだった祖父を対向車の居眠り運転により亡くした女児の言葉が私の記憶に残っています。

その女児の祖父は、冬休み中(年末)に、交通事故で亡くなりました。

父母ではなく祖父という事で、弔問にも伺わなかったのですが、新年を迎え、新学期になり、その女児に弔意を述べたところ、こういう言葉が返ってきたのです。

「先生、お悔やみをいただきありがとうございます。祖父は、仕事に向かってる道中で事故に遭い、亡くなりました。即死でした。」

「先日、初七日も終えました。」

「先生、皆さんがたくさん励まして下さって、とても有難かったです。」

「中には、『病死ならば家族の精神的負担や経済負担があるが、事故死ならば、バタバタするけど、短期間だから良かったと思うよ』と言って下さる方もおられましたが、それは違うと思うんです。確かに、私達を元気づける気持ちから、私達家族に責任が無いからと言ってくれてるのですが、私は、違うと思うんです。」

彼女は続けます。

「朝、元気に仕事に出て行った祖父が、1時間後には、即死の連絡。御礼もお別れも何も言えなかった。どんなに忙しくても、お金がかかっても、ツラクても・・・病死ならば、お別れの時までの時間を共有出来て、御礼やお別れの気持ちが伝えられると思うんです。」

「祖父も、病死ならば、弱っていく間に自分の気持ちを何らかの方法で伝えられたと思うんです。」

「だから、交通事故は、怖いんです。何の前触れもなく。突然・・・」

私は、当時、兄を脳腫瘍で亡くしたばかりだったので、この女児の言葉はとても強烈に心に残っています。

☆色々な優しさを、この「償い」が教えてくれてるような気がしてなりません。

突然の交通事故で家族が亡くなる事の辛さを、小学校6年生の女児に教えられるとは。

この話は、長年、私の心の中で温めていた話でした。

さだまさしさんの作詞により、記憶が呼び戻され、更に、私が長年温めていたこの女児の言葉を、この場で公開出来ることに感謝しています。

そして、当時小学校6年生の女児に「ありがとうございます。」と伝えたいと思います。

この女児を慰めた人の優しさ、この女児の優しさ・・・

 「優しさ」とは何かを考えさせられます。

・祖父を亡くした女児に言葉をかける優しさ。

・そっと何も言わずに見守る優しさ。

・女児の話を聴く優しさ。

・女児の話を自分の心に落とし込む優しさ。

・それを広く知らしめて、女児の心を周囲に広める優しさ。

事故を引き起こし、人生を狂わせた心優しい若者と、事故で大切な人を亡く、した夫人、この二人が不運な事故で巡り合ってしまうのです。

私は、不幸な現実の中で、ゆうちゃんのたゆまぬ反省と償いの気持ちが、被害者夫人の心に浸透したと思います。そして、哀しみに打ちひしがれていた夫人の心が、ゆうちゃんの気持ちに寄り添い、ゆうちゃんの真心を理解するまでに優しい気持ちになったのだと思います。

そして、ゆうちゃんは「誠意が報われた」とは思っていないと思います。

夫人の手紙には、ゆうちゃんに送金をやめてもらいたい理由に、「あなたの文字を見ると、主人の事を思い出してつらい」と書かれています。

私は、この言葉に、夫人の優しさを強く感じます。「もう、償いはおわりました。今後は、送金して頂かなくて結構です。」とは書いていません。夫人のお手紙にはお金の事には一切触れていません。

むしろ、「辛いからやめて」と書く方が、優しいゆうちゃんに送金をやめて貰えると思ったのだと思います。

そして、彼女は、こう結んでいます。

「あなた自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」と。

この言葉で、初めて、償いという呪縛からの気持ち的な解放と、送金を遠慮させて頂きたいとの被害者夫人の思いを感じさせられます。

さだまさしさんの思いにはまだまだ至らないかもしれませんが、私はそう思うのです。



さだまさし「償い」の歌詞は公的機関で説諭的な意味を込めて使われている。

「償い」が警視庁で使われた経緯

警視庁は、東京都で開催される運転免許のドライバー講習や違反者講習にかおいて「償い」の映像を流し、講習受講者に聴いて頂く取り組みを行っていました。

私は、教習指導員の経験者ですが、新規免許証取得者、違反者講習、取り消し処分者講習に対して使われている様々な映像に触れる機会がありましたが、個人的に、さだまさしさんの「償い」に勝る啓発映像は現時点で無いと私は思います。

教習所で使われているものは、言い方悪いですが、「押し付け」感が強いのです。戦前の(修身)や戦後の(道徳)のような、「短時間で教え込む」という目的がミエミエに感じるのです。

所謂、指導、教育、ティーチングですかね。

一方、「償い」は、事実のみを淡々と伝えているので、視聴者が、自分の過去を思い出しながら、自分の事として振り返る事が出来ると思うのです。「即効性は無いけど、時間経過と共にジワジワと心に響いて効く。」と言う感じに思えるのです。

所謂、共感、自省、コーチングですかね。

裁判長が「償い」を引用して話した内容。

2001年に東京都の駅のホームにて、4人の少年達が40代銀行員の男性に対し暴行を加え、くも膜下出血で死亡させるという事件がありました。 東京地裁での判決公判では、主犯格少年2人に対して、懲役刑の実刑が下されました。

裁判中、過剰防衛を訴える被告の少年たちに対する裁判長の話です。

「君たちはさだまさしの”償い”という歌は知っているか。歌を知らなくても、歌詞だけは読みなさい」と、裁判長は少年たちに話したそうです。

実刑確定後に裁判長がこのような発言を、歌の歌詞を引用し、被告に話すというのは極めて異例の事でした。

この裁判長の発言を受けた、さだまさし氏は、新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とした上で、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」とコメントしました。




さだまさし「償い」 まとめ

「償い」は、さだまさしさんが、7年もの歳月をかけて作り上げた名曲だと思います。
故意ではなく、過失による不幸な交通事故を起こした若者が、自身のできる精一杯の「償い」。
その「償い」を受けた、被害者夫人の葛藤を言葉にして淡々と作り上げた歌詞。
そして、時が経ち、変わらぬ加害者の「償い」の気持ちに、被害者夫人が送った一通の手紙。
加害者を傷つけまいと、精一杯の言葉でこたえ、自分の思いを綴る女性。
そして、その思いのこもった手紙を、泣きながら感謝する加害男性。
被害者と加害者の関係を超えた、偶然にかかわりを持った二人の思いやりと愛情。
だからこそ、広く世に広まり、様々な場面で、取り上げられてきたのだろう。
さだまさしさん、この楽曲を世に送り出して下さいまして、有難うございます。




さだまさしさんの名曲「関白宣言」にまつわるお話については、下記をご覧くださいね。

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音楽とは、「音」(楽器、声楽等)と「楽しむ」(作詞、作曲、演奏、歌手)による表現活動を自分に生かす媒体だと考えています。

 




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