今、若い方にも大人気の歌手、さだまさしさん。
2023年現在、今年歌手生活50周年を迎え、50年間でで4500回というコンサート回数をこなしてきたさだまさしさん。71歳を迎えてなお、全国を精力的にめぐり、ほぼ毎週、コンサート活動を続けています。
楽曲は、ほとんどが、さだまさしさんの作詞と作曲です。更に、人間味豊かな軽妙なトークで老若男女を楽しませ、考えさせることでも有名ですね。
さだまさしさんの、知られざるプロフィールと、ほとんど顔出しをしない 妻 についても調べてみました。
さだまさしって誰?プロフィール!
さだまさしさんは、本当に多彩な能力をお持ちなので、
さだまさし の個人プロフィール!
さだまさし(本名:佐田雅志)(1952年4月10日生まれ)
実家は、現在、「自由飛行館」という喫茶店です。さだまさしさんの御母堂である、喜代子さんが経営していた喫茶店でした。
全国的にも有名な喫茶店なんですよね。さだまさしさんのお母様はすでに亡くなられていますが、
現在は、さだまさしさんの実の妹さんである佐田玲子(さだれいこ)さんが有名な喫茶店の味を引き継いでおられます。
(親父の一番長い日)の歌詞に出てくる【しわくちゃの失敗作品だった】妹さんです。(笑)
さだまさしは フォークデュオでデビュー
1972年に、フォークデュオの「グレープ」で、吉田正美ととともにメジャーデビューしました。
(当時の私は、たくさんのアルバムを出すグレープのレコードを科っくことができませんでした。お金持ちの知人にカセットテープに録音してもらい、
さだまさしは ソロシンガーでデビュー
ソロシンガーになってからも「雨やどり」「関白宣言」「
(私のお気に入りの曲ばかり並べました。ご了承ください。とても、全部を網羅することはできないのです。何しろ、さだまさしさんが手掛けた曲の総数は、
2023年時点で、ソロ・
さだまさしは シンガーソングライターでもある!
大変失礼な書き方をしてしまいました。シンガーソングライターでもある!ではなくて、600 曲以上の楽曲を作った、日本においても稀有なシンガーソングライターなのです。
さだまさしさんが、披露する楽曲は、ほとんどすべてが、さだまさしの作詞・作曲です。
むしろ、「自分が作詞・作曲したもの以外は基本的に歌わない!」という方が正解かもしれません。
やはり、他人が作った曲には、思いを込めて歌えないと言ったところでしょうか?
彼の作詞には、
このことが、多くの人々の納得や共感が得られる要因になっていると思われます
さだまさしは 器用な演奏家でもある!
さだまさしさんが、担当する楽器は、ギター、ヴァイオリン、シンセサイザー。パーカッション、マンドリン、和太鼓、ピアノ、ドラムス、と多岐にわたります。
特に、ヴァイオリンは、幼少期からレッスンを続けていますが、ライバルが多い為、頭角を現すことができなかったと言われていますね。
一人オーケストラができるのではないかというくらいの多才ぶりです。
さだまさしは 小説家・落語家でもある!
さだまさしさんは、小説家としても有名です。小説家としての作品は、それほど多くは有りませんが、その小説家の才能と落語家としての才能は、彼の歌詞作りに影響を与えていると思わざるを得ません。
コンサートでは「トーク」や「噺(はなし)」と呼ばれるMC(曲との間の喋り)を「3時間のなかの1時間」喋りという考えを持っているようです。時には歌よりも長い時間繰り広げることもあり、その内容はほとんど落語か漫談のようだと言われています。これも、自分で曲を作り、演奏をするからこそできるアドリブであり、様々なスキルが融合して、短編小説のような、楽曲披露になっています。
さだまさし曰く、「とある落語家が弟子に『さだまさしのコンサートに勉強しにいってこい』と言った」と話していたこともあります。(笑)
さだまさし、ならではの言葉選びで生み出された楽曲は600以上あります。時に人の背中を優しく押し、時に勇気を与えて人生を変えてしまうほどの影響力を持つほどです。
有名な楽曲である「償い」や「風に立つライオン」が、文部省の検査を受けた学校の教科書に掲載されたのも頷けますね。
更に、さだの人気の理由が、何度でもコンサートに足を運んで聞きたくなるほど面白いさだの“トーク”なのだそうです。なんと、さだのトークだけを集めた18枚組のCDも発売されているほどです。
これでは、落語家が、弟子に「さだのコンサートに行ってこい」と言ったのも納得ですよね。
さだまさしは スポーツ応援に熱い!
さだまさしは、特に、野球の応援に熱い!です。
長崎県出身や、九州ゆかりの、監督や選手、球団に、応援を惜しまないところがあります。
又、近年では、Jリーグにも、進んで応援の気持ちを届けています。
さだまさしは 映画俳優!
映画『翔べイカロスの翼』にサーカス団のピエロの青年役として主演し、音楽も担当しました。
さらに、中国大陸を流れる大河を舞台にした、ドキュメント映画を制作することを構想しました。その映画『長江』の企画・監督を行い、1981年11月に公開されました。映画自体は120館上映というヒットをあげました。
さだまさしは 大学教授!
さだまさしは、東京藝術大学客員教授もつとめています。
さだまさしは 30億以上の借金返済!
さだまさしは、映画制作の時に、一般的な資金調達のしくみを知らず、さだまさし自身の支出で映画を制作しようと考えてしまいました。さらに、中国での撮影でのさまざまな障壁もあり、撮影期間が延びたこともあって、予想を超えた制作費の高騰で、約28億円(さだ曰く金利を含めると35億円)もの借金が残ってしまいました。しかし、さだは、自己破産手続きをせずに、自ら、自分自身で借金を返済することにしました。
凄い覚悟ですよね。普通ならば、自己破産を申告して、借金をチャラにしてもらおうと思うものですがね。
さだまさしの妻は誰?
さだまさしさんの妻については、謎に包まれている部分があります。お名前は知られているのですが、何しろ画像が出回っていないのです。
さだまさしさんの結婚は、1983年の事です。
さだまさしさんの妻は、旧姓、丸 さんという方です。下のお名前も公表されているのですが、記事を書き進める中で、先が読めてしまうので、この後、述べますね。(笑)
さだまさしの妻は、佐田玲子さん?
さだまさしの妻は、佐田英子さん?
さだまさしの妻が間違われる理由!
では、何故、さだまさしさんの妻は誰?と言われるのでしょうか?
又、間違われることが多いのでしょうか?
お二人の 読み方が似ている!
お二人の 年代が近い!
佐田英子さんの映像が出回っていない!
お二人の 育った環境が似ている?
さだまさしの妻に向けた曲「関白宣言」
さだまさしの「関白宣言」
さだまさしの「関白失脚」
その後、1994年に、「関白失脚」がリリースされました。
関白宣言のアンサーソングとして出されたこの曲は、強気の 関白宣言から 弱気の お願いモードになっています。(笑)
妻との立場が逆転してきたと言う噂も上がりましたし、関白宣言に対する批判をかわす目的とも言われていますね。又、さだまさしの、落研での才能を示すためだったという人も居ましたね。(笑)
さだまさしと妻との結婚エピソード
さだまさしさんと妻の英子さんとの馴れ初め
さだまさしさんと妻の英子さんとの結婚式!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
さだまさしさんの「償い」に関するエピソードは、下記でご覧くださいね。
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