稲葉浩志(B’z)の高校は?大学は?学業優秀って本当?歌も上手くて、女性にもモテた過去!

稲葉浩志さん(B’z)と言えば、アラ還の超有名なアーティストです。

私は、稲葉浩志さんと同じ津山市の高校に通いました。

しかも、もう20年以上前ですが、稲葉浩志さんの高校時代の元カノと職場が同じだった過去があります。その元カノさんからお聞きした、貴重な稲葉浩志さんの高校時代の話を、私の記憶が薄れる前に残しておきたいと思い、書き始めることにしました。

又、ありがたいことに、

つい最近、稲葉浩志さんの中学時代の同級生であり、稲葉さんと行動を共にした人のお話を聞く機会に恵まれましたので、その話も含めて、書き留めておきたいと思います。





稲葉浩志さんの現在!

稲葉浩志さんが声優でもデビュー!

2022年3月18日に公開されたアニメーション映画『SING/シング:ネクストステージ』の日本語吹き替え版で声優として初挑戦されました。

そもそも、稲葉浩志さんの、高校デビューのきっかけは、テニス部の「声出し」ですので、何ら不思議はありませんが。(笑)



稲葉浩志さんは中学時代、学業優秀でテニスも上手かった!

 稲葉浩志さんは、地元の津山市立津山東中学校(岡山県津山市)に進学されました。
 私の知人(中学時代の同級生)の話によると、中学時代からテニスが上手く、確か県大会でも優勝するレベルの腕前だったそうです。
 その上、スタイルも良く、イケメン。更に学業も優秀。
 同級生の中では、「何で、稲葉だけが色々揃ってるのか?」(今風に言えば、「持ってるのか?」)と羨ましがられるほどだったそうです。
(津山東中学校時代の同級生の話)



稲葉浩志さんは学業優秀で進学校(高校)入学!

 稲葉浩志さんは、中学校卒業後、岡山県立津山高等学校(岡山県津山市)に進学されました。津山高校と言えば、岡山県北部では、トップクラスの進学校です。
 津山高校時代は、勉強と部活(テニス部に所属)に明け暮れていました。学力と運動能力を生かし、文武両道の真面目を絵に描いたような生活だったようです。
 しかし、稲葉浩志は、高校2年生の頃からバンド活動でボーカルを任されています。
 そして、高校三年生の秋には、高校の文化祭で、津山高校内でデビューします。
 十六夜祭が終わってから、稲葉浩志さんの猛勉強が始まりました。
 何故、稲葉さんは、その時期からの猛勉強で大学進学を果たせたのでしょう。
 しかも、実質、追い込みを強化したのは、一月前だと言われています。(別の方の記事によると、猛勉強と言われるほどの勉強をしたのは、一週間前だとも言われています)
 稲葉浩志さんの音楽活動についての詳細は、次項で述べますが、私は、稲葉浩志の学力向上に、結果的に音楽活動が大きく影響したと思っています。
 私も、津山高校出身なのですが、私の同級生で医学部に進学した人の内、約半分は、運動能力に長けており、更に文化祭で音楽発表も行っていたのです。
 彼等に共通していたのは、「時間の使い方が上手い(つまり集中力がある)」ことでした。
 中学時代の稲葉浩志の同級生の話を載せましたが、「なぜ、あいつらは、頭も良く、運動能力もあり、音楽も出来るのか?」と、私自身も高校時代は疑問に思っていました。(ひがみやねたみ?)
 私自身、今、冷静になって思うのは、要するに、彼等は気持ちの切り替えが上手であり、運動や音楽の活動が気分転換になったのだと思っています。
 ところで、稲葉浩志さんが、バンド活動に熱中していた頃、進学校の宿命と言いますか、同級生は勉学に勤しんでいました。
 文化祭で、聴衆は、その時を楽しむだけで済みますが、出演者は練習を重ねる訳ですから。
 普通に考えたら、学力は低下しますよね。
 更に、十六夜祭の練習に明け暮れたと思われる真っ只中の高校三年生の夏には、同じテニス部の同級生のU子さんと恋愛もしていたのです。
 学力の低下は否めません。
 実際、高校三年生の夏の保護者との三者面談では担任の先生に、はっきりと言われたそうです。
 「バンド活動と恋愛を自粛しないと、志望校合格は極めて困難だ」と。



稲葉浩志さんは学業優秀で国立大学入学!

 更に、後述しますが、恋愛経験も彼の学力向上の力になったと私は思っています。
 高校三年生の秋に、文化祭を終えた稲葉浩志は、その後、学業に集中します。 元カノの話によると、卒業まで、お付き合いは続いていたとの事です。
 私の勝手な邪推ですが、高校時代の元カノのUさんも小学校教諭の免許状を取得されています。
 稲葉浩志さんも、きっと、彼女と同じ道を歩もうと、猛勉強に耐えるだけのモチベーションを保てたのだと思っています。実際、横浜国立大学の教育学部に入学されています。
 彼の猛勉強ぶり(自分の追い込み方)は、尋常ではありません。
 寝たら怪我や火傷をするような状況を作って自分を追い込んで勉強したり、「ながら勉強」をしたりされたようです。
 その頑張りで、横浜国立大学の教育学部に進学します。順調に学業にいそしんでいました。



稲葉浩志さんは学業優秀で国立大学入学も!髪型で教師断念?

 しかし、教育実習で、大波乱が起こります。
 稲葉浩志さんの教育実習初日の事です。

 稲葉浩志さんは中学校での教育実習初日に、その学校の校長から呼び出されました。

稲葉浩志さんの長い頭髪を見た、校長先生はハサミで髪を切るようなジェスチャーをしながら「なんとかなりませんかね」と、注意してきたそうです。

稲葉浩志さんは短髪にすることに抵抗はなかったそうですが、校長先生の物言いが気に食わなかったため、「どうにもなりません」と答え、教師になることをやめたと明かしています。

私は、稲葉さんが、教育者の手本であるべき校長先生の発言に、幻滅したのだと思います。

何か、馬鹿にされたような、さげすんだような言い方に感じたのだと思います。

私も学校でも職場でも経験がありますが、同じ言葉でも、「馬鹿にされた」と感じると素直に聞く気になれないのです。いくら正しい正論であっても、心理的に嫌悪感を抱いたら、その人自身が、或いはその組織自体が、つまらなく思えるのです。理屈では語れないものがあるのです。言葉でうまく説明できないものがあるのです。

もう一つ、きっぱりと教師の道を諦めることができた要素は、「音楽家」としての自信と夢が満ち溢れていたのだと思います。

そんな、納得いかない気持ちのまま仕事をするくらいなら、自分をリスペクトしてくれる可能性のある場所で能力を発揮してみたい!自分の力を存分に試したい!と思ったのだと思います。

むしろ、稲葉浩志さんに、教師の道を諦めさせた、中学校の校長先生に、喝さいを浴びせたいと思います。(笑)

もし、稲葉浩志さんが教師になっていたら、数々の名曲を聴けなかったのですから。




稲葉浩志さんが高校で見出された歌唱力!

津山高校時代に、稲葉浩志さんを音楽に目覚めさせる大きな転機が訪れました。高校2年生の時の事です。稲葉浩志さんは、当時ギターを弾いてバンド活動をしていた同級生にバンド活動に誘われます。彼のパートは、ボーカルでした。ボーカルと言えば、一番華やかで目立つ存在ですよね。稲葉浩志さんのルックスに惹かれたのか?はたまた、声に惹かれたのか?

 テニスの部活中に、声出しをするのを聞いた同級生が、声をかけたそうです。
 私は、正直、「えっ?歌を聴いたのではないの?」と思いました。
(高校時代に同じテニス部に所属していた稲葉浩志さんの元カノの話)
 しかし、元カノさんの話では、稲葉浩志さんは、当時から、ルックスも良く、大物になるオーラがあったから、声をかけられたらしいです。
 自分の才能を見い出された稲葉浩志さんは、早速、バンド活動にも参加したそうです。
 当時は、有名なアーティストの楽曲をそのまま真似てそれぞれのスキルアップを図ったそうです。
 私は、音楽は、楽譜から音に再現する事によって広く普及するものだと思っています。
 音楽に限らず、すべての芸術・文化・研究等において、先人の残した結果を再現することから始まると言っても過言ではないと思います。
 特に初期の音楽活動としては稲葉さんが楽曲を真似たというのは当然の成り行きだと思います。
 そして、高校3年生の時に、ついに、津山高等学校の文化祭である『十六夜祭(いざよいさい)』にて、デビューを果たすのです。十六夜祭は、津山高校で長年伝統的に行われてきた、生徒会主催の文化祭です。
 文化祭の為に解放される弓道場と体育館で二度の演奏を披露した稲葉浩志さん。もはや、そのバンドの中心人物になっていたようです。
 大きな、拍手と喝采を浴びた稲葉浩志さん。きっと、大きな自信と歌唱に対する手ごたえを感じたのではないでしょうか?
 稲葉浩志は、本番前の練習に熱を入れすぎ、声の調子は良くなかったそうですが、圧倒的な歌唱力でカバーしたそうです。
 因みに、稲葉浩志さんとは、親子ほど年の離れた、津山高校出身の、シンガーソングライターが居ます。頑張っておられるので、もしよろしければご覧ください。
粟井理菜さんはしまね観光大使&シンガーソングライター!故安倍晋三元総理とも対面
 粟井理菜(現:岩﨑理菜)さんは、島根大学の学生時代から、シンガーソングライターの活動を始められています。  その後、2018年から、「しまね観光大使」に就任され、シンガーソングライターとしまね観光大使をされています。




稲葉浩志さん高校で身に付けた恋愛観(元カノとの秘話?)!

稲葉浩志さんは、高校2年生の初夏の頃から稲葉には同じテニス部内で”彼女”ができ、恋愛関係を育んでいました。

私は、その元カノの旧姓も、結婚後の姓も存じ上げていますが、ここでは仮名(Uさん)で通します。

何故なら、これだけの名声を挙げている、稲葉浩志さんの高校時代の元カノの名前が、いくら検索しても出てこないからです。いや、正確に言えば、全く違う経歴で年齢も異なる同姓同名の方が存在するため、ご迷惑がかかると思うからです。

しかも、地元の人はほとんど知っているのです。Uさんも自らよく話していましたし、中学校で同級生だった人でさえ、高校は違うのに知っていました。

 「稲葉浩志さんの学力」の項で登場した、元カノのUさん。
 とても、嬉しかったのでしょう。私に沢山話してくれました。本当におのろけでした。(笑)
 高校卒業から10年近く経過していたにも関わらず、きらきらとした笑顔で、稲葉さんの事を本当にうれしそうに語っていました。
 でも、有名になってしまった、稲葉浩志さんには会えなくなってしまったそうです。
 理由は、マネージャー的な立場の人に、取り次いでもらえなかったからだと、淋しそうに話していました。「稲葉さんに、私が来たことだけでもお伝えください」と何度もお願いしたのですが、稲葉さんには伝わらなかったそうです。
 私は、この話に、稲葉浩志さんの奥深い優しさを感じました。
 下手に期待をさせて、女心をもてあそぶのではなく、Uさんを守る為に、あえて連絡を取らないようにしたのだと思っています。
(Uさんと連絡を取れば、Uさんに取材が来るかもしれない。小学校の教員として働き始めたUさんの周りに波風を立てたくない。)一時期、小学校教諭を目指していた稲葉浩志さんだからこその配慮だったと思います。
 勿論、私は、Uさんにそんなことは一言も言っていません。稲葉浩志さんの気持ちがこの通りなのか?わからないし、そのように話して、Uさんの気持ちが落ち着くか自信がなかったからです
 私は、稲葉浩志さんの歌を聞き、歌詞に触れる中で、Uさんを傷つけまいと思っていたのだと、強く感じたのでした。




コメント

タイトルとURLをコピーしました