尾崎豊は、1992年4月25日に26歳と5ヶ月に満たないと言う若さで天国に召された。
尾崎豊がこの世に誕生してからこの世での生涯を終える迄の歳月(26歳と5カ月足らず)を越えた年月を、彼はかの国(天国)で過ごした事になる。
当時の若者のカリスマ的存在であった「音楽家尾崎豊」の死は、衝撃的な亡くなり方を含めて、様々な憶測や疑惑を呼んだ。
一ファンとしての思い入れが強すぎるかも知れないが、約30年間私が思ってきたことを、尾崎豊の死にフォーカスして、彼の遺志(意志)に思いを馳せたい。
尾崎豊が歌詞に込めた言葉!
尾崎豊の死の謎については、色々な憶測や報道がなされていて、未だに未解決な部分が多い。
一見、華やかで満たされていると思われる芸能人でありますが、様々な葛藤や縛りの中で、悩み、苦しみ、生き続ける事の意味を見失う事もあるでしょう。だからこそ、尾崎豊の死は、【事故死(自殺も含む)】と言うものに対して、社会が大きな関心を持つ出来事だと思っていますし、社会に対する警鐘だとも思っています。
そのような意味でも、【芸能人の死】がこれほど後世迄語り継がれる事は今後においても稀だと思います。だからこそ、尾崎豊の死を、無駄にしてはならないと思っています。
私は、尾崎豊の「未必の故意による自殺(自死)説」を強く信じるようになっていました。その根拠は、尾崎の楽曲の歌詞やライブでのトークから感じていました。
「15の夜」はその代表的な曲です!
この、歌詞の言葉の何処に未必の故意による自死の意図が感じられるのかと言うと、「盗んだバイクで走り出す」以降の歌詞にあると感じる。
稚拙な独りよがりの思い込みと揶揄されるかもしれないが、実際に、尾崎豊があのような亡くなり方をしたとなれば、私の考えも一つの警鐘となるのではと思います。
15歳にとって、社会に対するレジスタンスの象徴がバイクによる夜間走行にあったのは私も一人のライダーとして理解はしている。
しかし、バイクは、一歩間違えれば、命を失うものである。私自身、とても重要な要件の時には、幾ら天候が良くても、バイクは使用しない。特に、時間に追われている時や、思い詰めた状態の時は、ヒヤリハットに合う可能性が高い。特にナーバスな時に、無事に事故無く生きて帰ってこられた時は、感慨深かった。
大げさに言えば、バイクに乗ること自体が、命を掛けた行為とも言えます。
しかも、盗んだバイクであれば、警察や持ち主等から追われる可能性も高い。
実際、ライブのトークでは、バイクを無免許運転で乗った事や喧嘩をして、母親から行動制限を受けたと語っている。幻の曲と言われてる「もうお前しか見えない」の一度きりのライブ動画で語っている。
あえて、バイクで夜の帳りを走ることに、私は未必の故意を感じるのである。
次に、尾崎の「生」に対する思いを強く感じるのは、「卒業」です。
この歌詞から、最も、未必の故意の自死説を尾崎豊に感じます。
尾崎は、学校を卒業するというテーマでこの歌詞を書いてはいます。
しかし、あのような謎の死を遂げた尾崎は、「この世の中からの卒業」「生きる戦いからの卒業」を思っていたのではないかと思えるのです。
尾崎豊が遺書に込めた自殺への思い!
ここで私が言う「事故死」の定義とは、自身の体の外側から何らかの物理的な力が働き、医療で言う外科的な損傷や異常をもたらすことによる死亡のことである。単純に言えば素人にも容易に目に見える体の損傷によるものと考えている。
尾崎豊が足立区の民家の軒先で全裸で発見されたうえ、傷だらけだったと報道されている。
この、全裸、傷だらけ、目の上のコブ等の情報から考えると、自死の可能性も含めて事故死と特定されてもおかしくないと思う。
しかし、死に至る最大要因が、肺水腫と判断されたために、事故死の可能性はほぼ否定された形になっている。死に至る最大要因が病死であるという事は、事故による致死を完全に否定しているのではないと私は思う。
肺水腫による死亡。という発表に対して、「再捜査嘆願書」が提出されたりしたが、再捜査は行われなかったという事である。
別の記事では、尾崎豊自身が、自殺をしようと思われる自傷行為をしているのを見たという報道も出ている。
「遺書」は、92年4月25日、死の間際まで持ち歩いたセカンドバッグに入れてあったという。それには、意識し続け、現実のものとして受け止めた「死」に向かう覚悟がしたためられていた。
先立つ不幸をお許し下さい。
先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、
そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
(中略)
さようなら
私は夢見ます。
死の1カ月後、もう1通の遺書が見つかっていた。尾崎さんの母絹枝さんの遺影の脇に置かれていた。繁美夫人と1人息子裕哉さんへの愛情を示し、惜別とも取れる言葉が記されていた。
私はただあなたを愛する名の神でありつづける。
引用元:日刊スポーツより
尾崎豊は、死を覚悟していた。あえて、尾崎豊の豊かな感性の言葉を想像すれば、
「尾崎豊は、あの世に夢を見ていた」と思うのです。
この遺書の存在が、尾崎豊の自殺(自死)説を有力なものにしているようです。
尾崎豊の言葉から見た事故死(自殺/自死) (未必の故意を含む)の可能性
尾崎豊の死因は自殺ではないかという説も浮上している。
自殺に対する強い意志を感じる情報がある。
世間一般であまり知られていない事実。 なぜ尾崎は死んだのか? 実は1994年から2002年まで約8年にも渡る、ジャーナリスト永島雪夫氏と尾崎の妻・繁美元夫人との裁判により、おおよそ尾崎の死因は明らかになっている。 永島氏は「繁美夫人が仲間と共謀し、何らかの方法で尾崎に致死量の覚せい剤を飲ませ殺した」との記事を週刊誌に書いた。 対する繁美夫人側はこの記事を事実無根だとし、永島氏側に損害賠償を求めた。 裁判で明らかになったのは次の点だ。
◎尾崎は足立区の民家で裸で発見されたが、体中が傷、アザだらけだった。 しかし警察の司法解剖で、これらの傷は他人によってつけられたものではない事が証明されている。
◎民家の住民の通報により、尾崎は救急車で病院に運ばれた。すぐに繁美夫人が駆けつけたが「家に帰りたい」と言い張ったのは繁美夫人ではなく尾崎本人。これも病院の証言で明らかになっている。
◎裸で発見されてから家に帰るまでずっと尾崎の意識ははっきりしていた。しかし尾崎は「誰かに暴行された」とは一言も言っていない。
◎死後の司法解剖により、尾崎は致死量の2.6倍以上の覚醒剤を口から飲んだ事がわかっている。 しかし覚醒剤は口から飲むとかなり苦いもので、誰かがこっそり酒にまぜたらすぐにわかる。 さらにもし確実に殺そうとするなら、致死量の2.6倍はあまりに少なすぎる量である。 つまり尾崎は自ら覚醒剤を飲んだが、量を間違えて、肺水腫を引き起こし亡くなったと思われる。 裁判は永島氏側の完全敗訴だった。夫人が尾崎を「殺した」事実は無いと証明されたわけだ。 意外にこの事実は世間一般には知られていない。
yahoo知恵袋
私は、上の記事から、尾崎豊の自殺説を更に強く信じるようになった。
この記事は、自殺という確実な証拠にはなりえないが、所謂、「未必の故意による」自殺だとの思いが私自身強くなったことは否定できない。
みひつのこい【未必の故意】
法律《連語》行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図したり希望したりしたわけではないまま、その行為からその事実が起こるかも知れないと思いながら、そうなっても仕方がないと、あえてその危険をおかして行為する心理状態。
一方、自殺ほど強い意志ではないが、自死ではないかとも推察している。
尾崎豊は、強い信念をもって自殺をしようと画策したのではないかもしれないが、【未必の故意】で、結果的に自死という結末を迎えることも容認したのではないかと考えるものである。
尾崎豊は、自分らしく、現在のこの世の中を、自分の心と言動に疑問を持ちながら、自分らしい理想とする生き方を殺しながら(否定しながら)生き続ける人生から「卒業」する事を、最終目標にしていたのではないか?
若かりし頃の尾崎豊は、夜の校舎の窓ガラスを壊して回り、反社会的な行動を取り続け、あがいてみたものの、世の中は変わらない。行動すればするほど、社会から批判されるが、尾崎豊は納得出来ていない。自分の気持ちや言動を理解してもらえない大人たち=社会に対して、虚しくなる。あるいは、絶望と言えるかもしれない。
何を学んだかつかめないまま、学校を卒業した。その後音楽家として、社会に出た。様々な方法で社会に問いかけ、訴えたが、伝わらない。かといって、社会全体を変えるにはまだまだ力不足を感じる。
尾崎豊は、そんな社会から「卒業」したかったのではないか?と考えるに至ったのである。
〔尾崎豊は、社会から卒業するために、死と隣り合わせの生活をした。〕と、私が、信じたいのかも知れないが。これは、尾崎豊が現実社会から逃げたのではなく、むしろ、現実社会に見切りをつけたと思っている。
【ざわめく心 今俺にあるもの 意味なく思えて とまどっていた】
この歌詞(言葉)に、尾崎の虚無感というか無力感を感じる。尾崎自身は当時の現代社会を見限ったのだと思う。
勿論、尾崎豊自身は永遠に語る事はないが、私自身は、そう解釈する事によって、一ファンとして、納得出来るのである。
しかし、自殺(遺書の真偽はともかく)となれば、環境の影響だけではなく、自分自身で選択したことになる。
未必でなく、自殺に対する強い意志を感じる情報もある。
「遺書」は、92年4月25日、死の間際まで持ち歩いたセカンドバッグに入れてあったという。それには、意識し続け、現実のものとして受け止めた「死」に向かう覚悟がしたためられていた。
先立つ不幸をお許し下さい。
先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、
そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。
(中略)
さようなら
私は夢見ます。
死の1カ月後、もう1通の遺書が見つかっていた。尾崎さんの母絹枝さんの遺影の脇に置かれていた。繁美夫人と1人息子裕哉さんへの愛情を示し、惜別とも取れる言葉が記されていた。
私はただあなたを愛する名の神でありつづける。
引用元:日刊スポーツより
尾崎豊の事故死(他殺の疑惑)とは?
証言をした、黒い組織に所属する匿名の男性によると、あの日、素面の尾崎豊を、薬物入りの酒で錯乱状態に陥らせ、数人で集団リンチを加えたのだといいます。この証言は、尾崎豊が、薬物を経口摂取していた事実と、警察の死体検案書に記載されていた死因が「肺水腫」ではなく、「外傷性くも膜下出血」と書かれてあったとの報道と合致。
男性は、「暴行の理由は言えない」としていますが、尾崎繁美の一連の行動に伴って、”妻の謀殺説”も浮上しました。ただし、証言の真偽は定かではなく、謀殺を説いた記者は、妻の尾崎繁美が起こした裁判で敗訴しています。
上記の引用記事からもわかる通り、他殺の疑惑が浮上していることは報道されている通りです。
妻の繁美さんがかかわっていた学会の関係者や覚せい剤の売人組織が加害者と思われる報道も散見される。しかし、裁判で結審している以上、これ以上の言及は避けたい。
まとめ
尾崎豊の死因は、
検視官によると「肺水腫」=内科的死因
死体検案書によると、「外傷性くも膜下出血」=外科的要素の強い死因
状況と言動からすれば、「自殺」の可能性
生前の行動から想像すると「他殺」の可能性
尾崎豊の死以前にも、有名人の死についは取り沙汰されたが、彼の死には、様々な憶測が飛び交い、様々な情報が錯綜した。
病死、事故死、他殺であれば、尾崎豊自身にはどうしようもない。所謂、【運命】と言うものになると言えるだろう。
真実は闇に葬られてしまったが、私は、尾崎豊をリスペクトする一人のファンとして、彼が「他殺」で簡単に結論付けられることを望まない。
尾崎豊は、自分自身、当時の現代社会から『卒業』するためには、この結末しかなかったのだと思いたいし、彼の言動を肯定していきたいと思っている。
それが彼の生きざまを理解する一助になると思うし、彼の遺志を後世に伝えることができる我々の使命だと思っている。
尾崎豊の死を境にして、芸能人の事故死が大きく取り上げられるようになったと感じられる。
尾崎豊・・・合掌。
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