葛城ユキは「ボヘミアン」大ヒット曲の歌手!の現在!死を覚悟し感謝の言葉残す!

  私の青春時代の1ページを彩ってくれた、葛城ユキさんがお亡くなりになりました。
 しばらくは、ショックで、何も考えられなかったのですが、葛城ユキさんの生き様や、亡くなる前の素晴らしい言動を見聞きするにつけ、「これは、後世に残しておかないといけない。」「私の気持ちを、私の言葉で残したい。」と思う君と癌強まりました。
 まだ頭の中の整理が充分できていませんが、いずれ、リライトします。とりあえず、今の段階での私の気持ちを綴りたいと思います。





葛城ユキさんとは?

葛城ユキさんは、1974年にアマチュア歌手の祭典「ポピュラーソングコンテスト」で最優秀曲を受賞されました。同年の世界歌謡祭でも審査員特別賞に輝き、メジャーデビューを果たしました。

ニューミュージックの歌手としてデビューされました。個性的な声と圧倒的な歌唱力を持ちながらも、ヒット曲に恵まれない日々が続きました。79年に、本格的にロックを始めます。80年にボニー・タイラーのカバー曲「哀しみのオーシャン」が話題になります。その後、我慢の3年間を経て、83年、大友裕子のカバー曲「ボヘミアン」が大ヒットします。この大ヒットを期に「ロックの女王」と呼ばれるようになりました。

 ◆葛城 ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子)1949年5月25日、岡山・高梁市出身。片山女子(現・倉敷翠松)高校時代はバレーボール部主将。国体2回、インターハイ2回出場。卒業後、スカウトされ倉紡倉敷に入団。歌手になるため退団し、上京。クラブ歌手を経て74年デビュー。2014年地元・岡山のPRソング「もんげー岡山!」の歌唱を担当した。

引用元:報知新聞社

 葛城ユキさんは、バレーボールで名をあげたんじゃなあ!
 葛城ユキさんは、バレーボール部の主将時代に、練習に取りかかるのが遅い人に、「はようせられぇ!」とか「はようしねぇ!」と言って練習に早く取りかかるように促していたんじゃろうなぁ(笑)
 岡山弁は、癖が強いけん、上京したら、ぼっこー苦労したんじゃねぇ?
 岡山のPRソング「もんげー岡山!」の意味は、皆さん分かりますか?
「ものすごい」と言う意味の代表的な岡山弁です。
同義語に、「でーれー」「ぼっけー」等があります。(「ぼっこー」も同義語です。)
使い方は、「でーれー恐い」とか、「ぼっけー美味い」とかです。

 

因みに、生粋の岡山県人の話によると、「でーれー」 < 「ぼっけー」 < 「もんげー」 の順にすごみが増すそうです。「もんげー」が最上級だそうです。



葛城ユキさんは「ボヘミアン」大ヒット曲の歌手の現在!

 ヒット曲「ボヘミアン」で有名な歌手の葛城ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子=たなか・さよこ)さんが2022年6月27日午後2時16分、腹膜がんのため、都内の病院で死去されました。

独特のハスキーボイスで一世を風靡した「ボヘミアン」

 

 

葛城さんは21年4月に人間ドックでステージ4の原発性腹膜がんが明らかになりました。抗がん剤治療を受け、2022年5月の夢コンサートで1年ぶりの復帰を果たしました。車いす姿の葛城さんは「水を得た魚のよう。歌えることは幸せです」とあいさつされました。ブランクを感じさせない歌声を響かせておられました。

しかし、運命は待ってくれませんでした。

 




葛城ユキさんは、死を覚悟し感謝の言葉を残す!

「ボヘミア~ン!」とハスキーな歌声での歌い出しで一世を風靡(ふうび)した葛城さんがお亡くなりになりました。

 2021年4月に腹膜ガンを発症し、治療を受け、2022年5月に、車いすで復帰を果たした葛城ユキさん。
 6月17日、千葉県内で昼夜行われた「夢コンサート」に出演し、車いすでベット・ミドラーのカバー「ローズ」を歌唱したのがラストステージになってしまいました。
 亡くなる10日前に歌手生活を全うしたことになります。
 正に、満身創痍の葛城ユキさんの最後のステージになりました。
葛城ユキさんは、2週間ほど前から容体が悪化していたといいます。
 その容体が悪い中での、ラストステージ!「夢コンサート」!
 本当に、葛城ユキさんの「夢」が、詰まったコンサートだったのでしょう!
マネジャーによると「病気が進行して体力的につらかった。声もかすれていた」との事です。

 更に、葛城ユキさんは、ソロコンサートに向け情熱を燃やしていたという事です。

ソロコンサートに向けて情熱を燃やしておられた葛城さん!

 しかし、葛城ユキさんは、3日ほど前から、恩師らに感謝の電話をかけておられました。
 葛城ユキさんは、死を覚悟されていたのでしょう。
 私が、死を覚悟した時に、そのような事が出来る自信はありません。
 さらに、亡くなる当日の午前8時ごろに、
「夢コンサート」を主宰する夢グループ・石田重廣社長のもとにもこの日午前8時ごろ、「今から救急車を呼ぶんだ」と電話があったといいます。「人生は感謝でいっぱい」と別れを告げたという事です。最期は関係者と実姉に見守られ、静かに眠るように亡くなられました。
 本当に、素晴らしい最期だと思います。
 亡くなる直前迄「声は出なかったが、しきりに『ありがとう』と言っていた」と明かされています。




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