尾崎豊の死因と理由は、いまだに明らかになっていないと言えます。
死亡した時の状況が様々な憶測を呼んでいるからだと考えられますし、薬物使用の事実も過去にあったためです。
死因は病死と発表されましたが、事故死との見解も巻き起こりました。そこには妻 繁美さんの関与も噂され、フライデーの写真記事も、事故死であるとの世論に拍車をかけました。
カリスマ的、伝説的シンガーの尾崎豊!!
未だに、歌い継がれる数々の楽曲をこの世に送り出して亡くなった尾崎豊!
その真相に迫ります。
尾崎豊の死因の真実は他殺?
尾崎豊の死因の真実は?
尾崎豊の死因は、公的には、肺水腫と発表されました。覚せい剤服による急性メタンフェタミン中毒が引き起こしたと結論づけられています。
検視を担当した支倉逸人によれば、尾崎の死因は肺水腫であることのみを発表し、肺水腫の原因が覚醒剤中毒であることは伏せられていた。 中毒は経時的な悪化によるものではなく、大量の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論づけられている。 尾崎豊 – Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 尾崎豊
公式に発表された見解は以上です。
人は生まれた時から、死を待つという宿命を背負っています。 人を含む全ての地球上の生命体はそういう運命なのです。
人の誕生は、これから生まれ来る人間にとって、生まれるか生まれないかの選択は出来ません。 何億個とも言われている精子の中の一つだけが受精卵となる卵に生命を与える奇跡。 そこからも更に幾つもの奇跡をくぐり抜けて誕生してくるのです。
時に、難病で生まれた子供に対して、
「この子の生命力が命を繋いだ」
「奇跡の誕生だ」と言う話が出ます。
ある面、真実だと思います。しかし、多分、赤ちゃん本人には「生まれたからには、絶対生きたい」と言う願望は無く(そもそも『生きる』という概念や言葉さえ知らない)、知らぬ間にこの世に生を受けたと解釈するのが当然ではないでしょうか。(私自身も覚えていません。) 生命の神秘と言うか、生命の不思議というか、生命を授かった者が本能的に持ち合わせているものだと思います。 そして、自分自身ではどうすることも出来ない、『運命』だと思うのです。
一方、死は、殆どの人間が物心ついた頃から意識するものです。 極端な延命はコントロールできないものですが、命の時間を短縮する事は、ある程度意識的にコントロールできるものだと考えます。 例えば、
①【将来に悲観し、体に良くないと分かって居ながらその悪習慣(食生活や薬物接種等)を継続し、死期を早めてしまっている。】とか、
②【苦しみや痛みから逃れる為に、体に良くないと分かって居ながらその悪習慣(食生活や薬物接種等)を継続し、死期をを早める。】
等々。
上記の①と②の理由の場合、身体にに良くないと解っていながら、悪習慣を継続したとは、医師も検視官も、「悪習慣の継続」の証明はできないと思いますので、病死と結論付けられることが多いと考えます。
結果的に、生命維持機能が持続出来なくなった事をもって死亡と判断されるのが通常です。
私の兄は数十年前にある病気で他界したが、最初に発病した時と、再発した時とは医師の説明が変わっていたし、死亡時の診断書では、確か「心不全」と記されていたと記憶している。確かに癌の再発であったと思うが、最後に心臓停止の方が影響が強かったのだろうと、若い私はそう解釈した。
尾崎豊の死因については、これだけの有名人であり、亡くなる直前の行動や心身の状態まで詳細に報道されていることを考えれば、死因を発表する際には、大変なご心労があったと思う。(我々のような私人には、ほとんど忖度の必要はないが)
きっと、発表は支倉逸人氏だが、ほかの有識者の意見も加味したと考えられる。
私としての納得できる結論は、最終的に尾崎豊に最も直結した死因が肺水腫である。
尾崎豊の死因の真実は他殺?妻(繁美)の関与はあるのか?
尾崎豊さんは1990年 当時 アイドルだった 斉藤由貴さんと不倫旅行していたことが フライデーで報道されました。
この事がきっかけとなり、夫婦仲はあまり良くなくなったと噂されています。
その後尾崎豊さんの父から、繁美さんに離婚を願い出たという話もあるようです。
最終的には、尾崎豊さんと斉藤由貴さんは きっぱりと別れていたようですが、その後も夫婦関係は冷え込んでいたと噂されています。
また 尾崎豊さんの死後 繁美さんと、尾崎さんの父が尾崎豊の財産を巡り 裁判で争ったという話もあります。
斉藤由貴さんとの不倫。財産をめぐり 裁判で戦った。
この2つの理由で、尾崎豊さんは妻の繁美さんによって、殺されたのではないかという噂も出てきました。
個人的には、もしそのような理由ならば、こんな誰にでもわかるような方法で殺害などはしない と思っていますけどね。
私は、「尾崎豊の病死に妻が関与していたと思われる」という意見に基本的に反対です。
確かに、食事に塩分を沢山加える、コレステロールが蓄積する食事を提供する、薬物を少量ずつ混入する、等々、色々と方法は考えられます。
しかし、冷静に考えてみて、尾崎豊は、自身の経営する事務所の社長業を行い、作詞作曲を行い、練習を行い、営業活動もしていたとのことです。睡眠時間を削り、営業の為の酒席にも参加したといわれ、食事はほとんど摂らずに過ごしたと言われています。
帰宅時間も不明、食事も摂るかどうかさえわからない、いつ眠るのかもわからない状況で、尾崎豊を意図的に病死に追い込むような方法は考えられないというのが私の考えです。
別の視点から考えても、これだけのカリスマ性のあるアーティストが「死」を迎えたとなれば、妻の関与について、徹底的に調べられることは容易に予測できます。
更に、俗な言い方をすれば、「これだけ稼いでくれる『金の卵』」の長生きを望まない理由は考えられません。
事実、妻の繁美さんに疑いの目が向けられたこともありましたが、裁判等で、「関与がない」とされています。
尾崎豊の死因の真実は他殺?反社組織の関与があるのか?
暴力団員が尾崎豊さんの死に絡んでいるとの噂の真相を探ってみま しょう。
尾崎豊さんの死後15年後、 2007年5月の月刊誌で「俺が尾崎を殺した」という暴力団 官関係者である 匿名 男性からの証言が載せられました。
証言によると、尾崎さんが死亡した4月25日 彼は シラフ の尾崎さんに覚醒剤入りの酒を飲ませ、前後不覚の状態にして複数人で暴行 加えて殺害しようとしたというのです。
この証言は覚醒剤を経口摂取したという、死体検案書の事実と一致し、一定の説得力がありました。
また当時は 殺人罪の時効が15年と言われており、その15年後に発表したこと(つまり時効を利用した自供)によって一定の信憑性があると見られ ました。
尾崎豊の病死に、妻(家族を含む)以外の他人が関与したのではないかという報道も確かにありました。
私は、この他人が関与しているのか?という報道には、否定できないという考えです。
報道によると、反社会的組織とか、何とか教会とか、黒幕だとか、色々な他人?が登場していますが、これにはある面納得できます。
しかし、匿名であること、時効である事、病死と公式発表されている事から、このことに関しては、あまり触れられることなく、今に至っているようです。
覚せい剤を持つ人が、覚せい剤を飲食物に混入したら、その飲食物を摂取した人がどうなるかわからないはずはないというのが私の考えです。そもそも、覚せい剤の経口摂取は非常に困難だと聞いています。尾崎豊が気づかないはずは有りませんし、もし無理矢理ならば、尾崎豊が騒いでもおかしくないと思うのです。
尾崎豊の死因の真実は他殺?宗教団体の関与があるのか?
尾崎豊さんと妻の 繁美さんは創価学会の会員でした。 家族も創価学会に入っておられたとのことですが、次々と 脱会し、尾崎豊死亡時は、妻の繁美さんだけが創価学会に残っていたようです。
創価学会は脱会した信者に対してひどい 嫌がらせをするという噂がありました。
そこで、創価学会のメンバーにより殺害されたのではないかという噂が 出てきました。
カリスマ シンガーの尾崎豊が創価学会を脱会したという噂が公になると、またあれこれと創価学会を否定する発言がなされることに危機感を抱いたという事もささやかれました。
創価学会としても放っておけないと考えても不思議はないというこ とのようです。
この説も、疑いが真っ先に向けられるので、私は可能性としては低いと考えています。
尾崎豊の死因の真実は他殺?の疑いの結論は?
1994年 テレビ朝日が流出した死体検案書のコピーと取材した内容をもとに、「妻の 繁美さんと知人が覚醒剤を飲ませて、尾崎豊さんを殺した」とする説を主張しました。
しかし 繁美さんもその陰謀説を訴えたメディアの方と裁判で争い、繁美さん側が勝訴しています。
他殺説③ 暴力団
これがきっかけになり妻の 繁美 さんによる 謀殺説が再び 浮上します。
暴力団関係者と 妻の 繁美さんがグルになって、
尾崎豊を殺害したということのようです。
しかし 匿名の証言が事実であるとは言えず(信憑性が低い)尾崎豊 らしき人物が 民家のブロック塀に頭を打ち付けていたという目撃証言 もあるため 信憑性としては低いものになっています。
★他殺説の否定
尾崎豊の衣装を公開したジャーナリストの加賀孝英さんは 尾崎豊さんの他殺説を否定しています。
加賀隆英 さんが 尾崎豊他殺説を否定する理由が2つあります。
1つは加賀隆英 さんが医師に取材をした際にその医者が尾崎豊さんは自殺であった と断言したということによります。
2つ目は 遺書の内容に書いてあるように生前の尾崎豊さんは とても孤独だったということです。 自殺を考えていることを話す 相手すらいない まるという記述があります。
ここからは私の個人的な考え なのですが、尾崎豊さんはもしかしたら このままでは自分は死んでしまうかもしれないという覚悟を持って 生きていたという風に思えます。 積極的な自殺ではなく、自死(未必の故意) による結果的な自殺になったのではないかと考えています。
未必の故意、は基本的に 犯罪加害者に使う場合が多いのですが 私はこうなるかもしれない、自分はいずれ死に至るかもしれない 死んでしまうかもしれないが それでも受け入れる という形で成り行きにまかした自殺という風に考えています。 もちろんご本人にしか分かりませんが 尾崎豊が自殺したというのであれば そう私自身は思いたいと思っています。
尾崎豊の父親は自殺説を否定しています。
尾崎豊さんの父親 健一さんは「遺書が公開されるまで 遺書があったことも知らなかった」と話しておられます。
「ユタカは気分が落ち込んでいる時には 突発的に遺書のようなものを書くことがあった。 なくなる 3年前に自殺を考えたことがあるらしいがその時に書いた可能性も ある」と話しています。
先ほどの 未必の鯉の自殺と考えると 尾崎豊の死に対する考えは、 は彼の楽曲の詩の中にも込められていると思います。 私が未必の恋 の死 を考える 根拠に卒業や 15の夜の歌詞から考えられるのです。
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