尾崎豊、高校時代にシングル「十七歳の地図」でデビューし、没後30年を経過した今もなお、その人気は衰えることはありませんね。
その尾崎豊の死については、謎が多くていまだにわからないことが多いのですが、、
尾崎豊の死亡日・死亡場所
死亡日時
1992年4月25日 午後12時6分 (享年26歳4ヶ月)後4日で26歳5ヶ月になるはずだった。
死亡場所
日本医科大学付属病院。
尾崎は足立区の民家で裸で発見されたが、体中が傷、アザだらけだった。 しかし警察の司法解剖で、これらの傷は他人によってつけられたものではない事が証明されている。
◎民家の住民の通報により、尾崎は救急車で病院に運ばれた。すぐに繁美夫人が駆けつけたが「家に帰りたい」と言い張ったのは繁美夫人ではなく尾崎本人。これも病院の証言で明らかになっている。
◎裸で発見されてから家に帰るまでずっと尾崎の意識ははっきりしていた。しかし尾崎は「誰かに暴行された」とは一言も言っていない。
◎死後の司法解剖により、尾崎は致死量の2.6倍以上の覚醒剤を口から飲んだ事がわかっている。 しかし覚醒剤は口から飲むとかなり苦いもので、誰かがこっそり酒にまぜたらすぐにわかる。 さらにもし確実に殺そうとするなら、致死量の2.6倍はあまりに少なすぎる量である。 つまり尾崎は自ら覚醒剤を飲んだが、量を間違えて、肺水腫を引き起こし亡くなったと思われる。 裁判は永島氏側の完全敗訴だった。夫人が尾崎を「殺した」事実は無いと証明されたわけだ。 意外にこの事実は世間一般には知られていない。
尾崎豊死亡前日から当日までの経過
尾崎豊が瀕死の状態でで発見!
尾崎豊は、1992年4月25日早朝、尾崎豊の自宅から約500mの足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で、体中が傷とアザだらけで倒れていたそうです。それを、民家の住民が発見したとされています。
その傷やアザは、警察の司法解剖で、他人によってつけられたものではない事が証明されています。
目撃談によると、尾崎豊さんは、民家の軒先で発見される直前に、持っていたセカンドバッグの中身をぶちまけ、ブロック塀に何度も頭を打ち付けるなどの奇行を繰り返していたと言うことです。
この目撃談と司法解剖の結果が、この日の体の傷やアザが、他人による暴行でないことだという根拠になっているようです。
また尾崎豊自身が、裸で発見されてから家に帰るまでずっと尾崎の意識ははっきりしていたにも関わらず、「誰かに暴行された」とは一言も言っていないという事も根拠になっていようです。
しかし、尾崎豊が、「誰かに暴行された」と言っていないことは、すなわち暴行されていないということとは限らないのですね。
何らかの事情で、言えなかったという可能性もあるわけです。
尾崎豊が発見の数時間前まで飲酒していた!
それまでに、お酒を飲んでいたという報道もあり、深酒の末に、かなり酔っ払っていたという事のようです。
そもそも、自分の体をたたきつける前から、すでに血まみれになっていたとの目撃証言も報道されています。
となると、店で飲酒し、何かトラブルになり、店を出た後に、転倒した、或いは店内で暴力沙汰になった等の理由でけがをして、それが致命傷になったという話も否定できませんね。
いずれにしても、目撃者の話や、フライデーで報道された写真を見ると、尋常ではない状態ですよね。全裸で傷だらけだったというのも、その異常さを裏付けるものになると思いますね。
尾崎豊が白髭橋病院に緊急搬送される!
◆5時45分頃、尾崎豊さんは、住民の連絡により墨田区内の白鬚橋病院に緊急搬送されました。
墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれたのが、5時45分頃でした。診察した医師は、駆けつけた尾崎豊さんの妻・繁美さんとその兄に、こう説明したそうです。
「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と。
尾崎豊が自宅に帰る!
病院の医師は、「専門医に診てもらうべき」だと助言をしているのに、家族は、医師が「脈も体温も正常」と答えたから、連れて帰ったと話していますよね。
どちらも、正しいとすると、「専門医に診てもらうべき」の助言より、「脈も体温も正常」の事実を優先したことになりますよね。
結局、繁美さんらは、尾崎豊さんを連れて自宅マンションに戻ることを選択するんですよね。
尾崎豊を自宅に連れて帰った理由について、後に妻の繁美さんは、「病院側が『脈も体温も正常』と答えたため、尾崎豊さんを連れ帰った。」と説明しています。
又、尾崎豊氏自身が、「大丈夫だから自宅に帰りたい。」と言ったという情報もありますね。
尾崎自身、過去に覚せい剤取締法違反で捕まった事もあることから、大事(おおごと)にしたくないと思ったのか、経験上、このくらいの状態だと大したことないと思ったのかは定かではないですがね。
尾崎繁美さんと兄も、尾崎豊氏と同じ思いだったのかもしれません。
尾崎豊さんは、妻の繁美さんらとともに、自宅マンションに戻った時刻については把握できていません。すみません。
尾崎豊の容態が自宅で急変!
午前10時頃、尾崎豊さんの容体が急変、呼吸停止。家族が119番通報。
日本医科大学付属病院に救急車で搬送
◆死亡確認は、午後0時6分。
結局、尾崎豊さんは最初の病院に搬送されてから、約1時間半で亡くなり、妻・繁美さんに引き取られる形で自宅マンションに帰宅しました。搬送から2時間あまりで亡くなったことになります。
このことからも、謎が深まるばかりですね。
これらの当日の事実だけでも、病死?事故死?暴行死?自殺?等々、色々な憶測が飛び交っていますね。
ファンとしては気になる所ですが、今後、色々な説についても、事実を基にして検証していきたいと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
尚、尾崎豊の死因の真相については、諸説ありますが、報道されている説の代表的な物をまとめています。
よろしければ、お読みください。

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よろしくお願いいたします。

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