全盲の世界的ピアニスト、辻井伸行氏がピアノ界のレジェンドと呼ばれるようになって久しい。
言葉もまだ余り話せない、自分の気持ちも伝えられない伸行氏がお持ちの音楽に対する興味を見逃さず、伸行氏はいつ子氏に導かれるように音楽に邁進した。
伸行氏の努力は、勿論ですが、物心つかない伸行氏を幼い頃から導き続けたいつ子氏の功績があったからこそ、伸行氏はレジェンドと呼ばれるようになったのだと思います。
辻井いつ子氏の略歴(伸行氏誕生迄)
1960年 東京生まれ。
1980年 東京女学館短大卒業。
フリーのアナウンサーとして活躍。
1986年 産婦人科医の辻井孝氏と結婚。
1988年 9月13日に長男伸行氏を出産。
長男伸行氏の誕生
辻井いつ子さんの元に、1988年9月13日に長男・伸行氏が生まれました。いつ子氏は、生後まもなく医師に「この子は目が見えません。一生、目が見えることはないでしょう」と告げられました。いつ子氏は最初、絶望と不安を抱え、葛藤の日々を送ります。
全盲の子供の子育てについての情報が少ない中、いつ子氏は試行錯誤をしながら、日々子育てに邁進しました。
私の孫(男児)もほぼ全盲です。光の色と明るさは認識出来ているようです。
孫の母(つまり私の娘)は、辻井伸行氏とほぼ同年代、しかも、辻井いつ子氏は、私と同年代年ですので、ご縁を強く感じていました。
私は、辻井いつ子と同年代の祖父として、辻井伸行氏の子育てを目標にし、孫育ての目標として関わってきました。
いつ子氏は伸行氏の音楽の才能を見出し、伸行氏の音楽に対する興味を最大限に生かせるように、音楽に傾倒し、伸行氏の音楽的成長に資する事が出来るように、注力するようになりました。
その、いつ子氏の努力が報われ、ある日、伸行氏に劇的な変化が見られることになりました。
2才3ヶ月の時の伸行氏のエピソードです。
「ただただびっくりしました。まだおむつも取れない伸行が、ピアノを弾いているのですから。新米の母親として何ひとつ自信が持てず、手探りで進んできた毎日。その道の前方に、希望の灯りが見えたようにも思えます。
辻井いつ子さんの元に、1988年9月13日に長男・伸行氏が生まれました。いつ子氏は、生後まもなく医師に「この子は目が見えません。一生、目が見えることはないでしょう」と告げられました。いつ子氏は最初、絶望と不安を抱え、葛藤の日々を送ります。
全盲の子供の子育てについての情報が少ない中、いつ子氏は試行錯誤をしながら、日々子育てに邁進しました。
私は、「五体不満足」の著者である乙武洋匡さんのお母様の子育てのエピソードが何らかのヒントになったのではないかと思っています。
乙武さんのお母様の、「かわいい」の発言はもとより、ご近所に紹介して回ったエピソード、出来ない事よりも、出来る事に目を向けた子育て。ポジティブな生き方・育て方は、乙武さんのお母様の考え方の影響を受けていると感じざるを得ません。
辻井伸行氏の母いつ子さんが、伸行氏に見つけた音楽家の可能性!と信じたこと!
辻井いつ子氏が伸行氏に見つけた音楽の才能を生かす可能性!
「明るく、楽しく、あきらめない」をモットーに、持ち前のポジテ
辻井伸行氏が生後8ヶ月頃に、ブーニン演奏の「ポロネーズ」〔ショパン〕を聴いた時に足をバタバタさせて喜びを表現したと言う話は有名です。いつ子氏は、何度も聴かせた「英雄ポロネーズ」のCDが痛んだのを期に、新しく「英雄ポロネーズ」のCDを購入しました。しかし、伸行氏は、殆ど喜ばなかったのです。。実は、いつ子氏が買い替えたCDは、ブーニン以外のピアニストが演奏した「英雄ポロネーズ」だったのです。いつ子氏は、また、ブーニン演奏の「英雄ポロネーズ」を購入し、伸行氏に聴かせました。伸行氏はまた、喜びました。
「伸行が少しずつ音楽に対する好奇心を表現し始めたことは、私にとって最高の喜びでした。『もしもこの子に音楽の才能があるのなら、何としても伸ばしてやりたい』と藁にもすがる思いでもあったのです。」
いつ子氏は伸行氏の音楽の才能を見出し、伸行氏の音楽に対する興味を最大限に生かせるように、音楽に傾倒し、伸行氏の音楽的成長に資する事が出来るように、注力するようになりました。
その、いつ子氏の努力が報われ、ある日、伸行氏に劇的な変化が見られることになりました
「伸行が少しずつ音楽に対する好奇心を表現し始めたことは、私にとって最高の喜びでした。『もしもこの子に音楽の才能があるのな ら、何としても伸ばしてやりたい』と藁にもすがる思いでもあった のです。」 引用元:講演依頼com
辻井いつ子氏が伸行氏の音楽家の可能性と信じたこと!
2才3ヶ月の時の伸行氏のエピソードです。
「ただただびっくりしました。まだおむつも取れない伸行が、ピアノを弾いているのですから。新米の母親として何ひとつ自信が持てず、手探りで進んできた毎日。その道の前方に、希望の灯りが見えたようにも思えました。」
いつ子氏の予期せぬ形での伸行氏の公的デビュー?
ピアノのレッスンを受け始め数年たった5歳の時、伸行は海外旅行で訪れたサイパンである大きな経験をする。ショッピングセンター に置かれていたピアノが弾きたいと駄々をこね、 お店の方に特別に弾かせてもらったのだ。伸行が演奏を始めると、 多くの人が足を止めた。
「その盛況ぶりに、私たち夫婦も釘付けになりました。
驚きの声と温かな拍手が上がり、 なかには涙ぐんでる人もいたほどで、 伸行も得意そうな表情をしていましたね。」 引用元:講演依頼com
視覚障害者が音楽で成功する理由(私見)
まとめ
- 私は、障害者という言葉は、個人的に受け容れ難いので、あえて、
「チャレンジド」という言葉を使いたいと思います。 - 辻井いつ子氏は、チャレンジドの親としての考え方、育て方、
スキルの生かし方に大きな一石を投じたと言えます。私は、 五体不満足の著者、 乙武洋匡さんの母親の子育ての話を思い出します。 - 私の孫が目が不自由と知ったとき、まず、調べたのが、
辻井伸行さんと、辻井いつ子さんの記事でした。 - 考え方。
- 絶望からの、希望、確信。
- 育て方。
- 現状認識からの可能性の発見と模索
- 私も、孫の視覚障害という現実を目の当たりにして、困惑する中、私と同年代のいつ子氏の子育てと、娘と同年代の伸行氏の活躍に勇気と元気をもらって孫に接することができたことを考えると、感謝してもしきれません。
- ありがとうございます。
尚、辻井伸行氏について私の私見を述べた記事も、宜しければご下記URLにて参照ください。
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