財津和夫さんと言えば、チューリップのリーダーです。
1970年代前半から斬新な音楽を多数リリースして来られました。
又、才能のある音楽家を多数スカウトし、育ててきました。
その、財津和夫さんが、多分最後になる、 日本縦断50周年記念コンサートを始められました。
財津和夫さんとは?
財津和夫さんは、 数々のヒット曲と多くのミュージシャンを輩出して来られた音楽プ ロデューサーです。
活動の中心は、「チューリップ」と言うグループです。
チューリップは、1972年に「魔法の黄色い靴」 でデビューを果たしました。
私は当時、12歳。 今まで触れたことのないメロディーと歌詞に新しい時代の到来を感 じたものです。(特に歌と歌の間の間奏の部分が、 まるで別の楽曲みたいに思えたのが私にとってセンセーショナルで した)
財津 和夫(ざいつ かずお、1948年〈昭和23年〉2月19日 – )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。ブリティッシュロックグループ「チューリ ップ」のリーダー。2004年から大阪芸術大学芸術学部演奏学科 教授。血液型O型。和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本の メロディメーカー[2]。 引用元:Wikipedia
「チューリップ」は、 ブリティッシュロックグループだったのですね。
私は、フォークソンググループだと思い込んでいました。
和製ポールマッカートニーと呼ばれるなんて!因みに、本家? ポールマッカートニーさんは、2022年に北米でのツアーを行っています。
ポールマッカートニーさんは、6歳年上ですね。
病み上がりの財津さんに無理は言えません。が、 ファンの一人として、無理のない範囲で、細く長くのご活躍を期待 いたします。
財津和夫が50周年記念コンサート開催
財津和夫さん(チューリップのリーダー)が、 デビュー50周年を記念して、全国を縦断する、 コンサートツアーを始められました。
財津和夫さんのお言葉を借りれば、「これが、 最後のツアーになる」と。
更に、「心の旅路 50年」とも銘打っておられます。
メンバーの入れ替えや休止、闘病、を繰り返しながら、 独特の感性と世界観を作詞・作曲で表現し続けたチューリップ。
生ライブで見られるのは、今回が最後になるのかも知れませんね。
財津和夫が歌う名曲の数々
「心の旅」や「サボテンの花」などのヒット曲で愛され、日本の軽 音楽史に深い足跡を残してきた、「チューリップ」。
その集大成と言われる、財津和夫さん曰くの「 最後のコンサートツアー」には、 財津和夫さんの思いのこもった楽曲が披露される事でしょう。
私は、NHKの放送を視聴したその日に、 近隣のコンサートのチケット予約を試みました。しかし、 チケットは完売していました。凄い人気に驚きを隠せません。 財津和夫さんが74歳です。 彼らがデビューされた頃の熱烈なファンは、殆どアラ還ですね。 殆どの方が現役を引退されてますから、 私が仕事終わりにチケットを購入を試みましたが、(時、 既に遅し)でしたね。残念無念。
「心の旅」
「サボテンの花」
そして、私の個人的な一押しの曲!
「青春の影」
チューリップのヒット曲(個人的に 思い出に残ってる曲)
リリース年 曲名
1972 デビュー曲の魔法の黄色い靴
1975 サボテンの花
1977 青春の影
1977 心の旅
1977 ぼくがつくった愛のうた
1977 ブルースカイ
1977 娘が嫁ぐ朝
1988 虹とスニーカーの頃
ですね。(私が、メロディーと歌詞がすんなりと出てくる曲です。)
これらが、 記念コンサートでは歌われるのではないかと思われます。
財津和夫さんのがん克服
財津和夫さんに 大腸癌が見つかったのは ちょうどチューリップ45周年記念ツアーの最中でした。
2017年5月末の事です。 仕事先の福岡で意識がなくなるほどの腹痛に襲われたそうです。 福岡の救急病院で受診したところ、医師の診断は「腸閉塞 おそらく大腸がんによるものです。すぐに手術をした方がいい。」 との事でした。財津さんは「東京に戻ってから手術をしたい」 と医師に伝えましたが、「 飛行機になんか乗っている間にどうなるか分かりませんよ。 飛行機の中で死ぬかもしれませんよ。」 と強く反対されたそうです。
しかし、財津さんはいつもの主治医に診て貰いたかったのか、 意を決して東京に移動しました。
6月以降に 予定されていたコンサートは 中止となりました。 財津和夫さんが いつも中心メンバーであったことを考えれば当然のことだと思いま す。
その後、無事に帰京し手術も成功しました。
財津さんの生命力と医師の適切な治療、 そして回復を願う多くのファンや関係者の祈りが通じたのでしょう 。幸いにして大腸癌の治療は成功しました 。
手術は成功したものの、「その後の抗がん剤治療はつらかった」 とおっしゃっています。
最近では、競泳の入江璃花子さんが、抗がん剤治療の苦しさ・ 辛さについて語っておられたのが印象に残っていますよね。
副作用で、手足が痺れたり味覚や嗅覚にも影響が 出たようです。食べ物も口に入らず、 すっかり痩せてしまいました。
それでも翌年の春には、ソロコンサートツアーに復帰されました。
「くだらない冗談も言えるほど今は快調です」 とご本人は笑いますが 、 癌だと知った時の財津さんの心中は想像を絶するものだったと思い ます。
私も兄を2年間の闘病生活の末、ガンで亡くしておりますので その辺りの 気持ちは本当に理解できます。 今は亡き、当時の兄の気持ちを考えると胸が痛みます。 きっと財津さんもかなり苦しんだことと思われます。「 もう二度とチューリップのステージには立てないかもしれない」 と覚悟したそうです。
お医者さんにも「皆さん抗がん剤治療やりながら 働いておられますよ」と背中を押されて、 早めの復帰をされたようです。 まともに立つことさえ不自由な体で、 座ったまま何とか歌い切りました。 ギターを持つ手も殆ど感覚が無くて、 満身創痍のソロコンサートだったそうです。そんな、 満身創痍の財津さんを、お客様は暖かく迎えてくれたそうです。 当然お客様は財津さんが闘病中であることを理解しています。 多くの方に励まして頂き、財津さんは「人間は、 本当に人に支えられているんだな」と、 しみじみと感じたとおっしゃっています。
「今こうしてまたステージで歌うことができる。 それが本当にありがたいし、 自分がやれることはこれなんだな!と思います」と、後日、 財津和夫さんは話しておられます。
心の底から、「絶対に元気になって、 最高の状態でステージに立ちたい」と思われたそうです。
生命力・使命感・ 責任感と言うもの全てに尊敬の念しかありません。 音楽家と言うだけてなく、人として、 ますますファンになりました。
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