橋幸夫さん略歴
橋幸夫は1943年5月3日、東京・荒川区の呉服店に生まれた。
橋幸夫氏が、母親の勧めで、遠藤実氏の歌謡教室に通ったことが、
1960年のデビュー曲「潮来笠」は大ヒットしました。
1962年には、当時の国民的アイドルであり、
橋幸夫は、昭和時代に「御三家」と言われた歌手の一人です。
「御三家」の一人西郷輝彦との最後の会話
訃報には驚きましたよ。
彼ががんを公表する1年くらい前だったかな。「体調が悪い」 ということを聞いていましたから、 普段は僕からは電話することはなかったんだけど、「この頃、 全然会わないなー」と連絡すると「いや、大丈夫ですよ。 頑張っていまドラマをやっていますから」と。「 歌を歌ってないじゃないか」と言うと、「歌はね、 自分でも歌いたくないんで」。「頑張れよ」と言ったけど、 それから1年くらい経ってがんを公表した。 気にはなっていましたが、その後、 会ったのも一昨年が最後になってしまいました。 その時も西郷くんは僕には病気のことを全然言わなかったですね。 御三家の中でも、彼が一番年下で、「テル、テル」 と呼んでまるで弟のような存在だった。愛嬌があって、 フットワークが軽くて、本当にいい奴だったんだけど、 突然亡くなっちゃったのはびっくりしましたし、 やっぱり寂しいですよ。 引用元:週刊新潮
橋幸夫さんが歌手引退を決意した理由
スポーツ界を見たら、まだもう少しやれる、というところで身を引いている人が多いじゃないですか。友人でもありますが、 相撲の元白鵬さんもそうですよね。全勝優勝した次の場所後に、惜 しまれつつもスパッと引退したでしょ。そうした「引き際の美学」 みたいなものが頭にあったんです。人に言われて仕方なく辞めるの ではなく、自分で決める。そういうの、格好いいな、 と思っていたんですよ。 〈橋幸夫ご本人談> 引用元:週刊新潮
喉の調子がだんだん悪く
喉の調子はですね、10年ほど前、70歳くらいの頃から、
だんだんとおかしくなってきたんです。 風邪を引いたわけじゃないのに、 少し発声をしていないだけで声が変調するということがあったんで すね。 そして、2年前から新型コロナの感染拡大が始まりました。 仕事が全部延期になり、歌を歌うことが減ってきてから、 余計に声の調子が悪くなりました。お医者さんによれば、「 声帯の筋肉が老化しています。」と。 状態を維持する方法も教わって、それをやってはいるんですが、 なかなか……。年を取ったら声がかれてくるというのは、 これはもう仕方がないことですよね。 実際、ファンの方からも指摘を受けることが増えてきたんです。「 大丈夫ですか?」と心配のお手紙をいただいたりして。 ファンクラブの方は何百回も私の公演を見に来てくださっている。 だから、小さな変化にも気が付くんですね。 引用元:「週刊新潮」
橋幸夫さんには、やはり、爽やかで張りのある歌声を聴衆は求めるでしょうし、
よくスポーツ選手が「
「周囲が認めてくれても、自分が納得できない」
この仕事を続ける意味があるのか」
一昨年、芸能生活60周年を迎えて、年も80近くになった。
このまま歌っていくことは、 ますます肉体的にしんどくなっていきますし、体調が良くないと、 仕事に向かう気持ちも整えにくくなる。声のことを含めて、 それらが維持できなくなってまで、 この仕事を続ける意味があるのか、 と考え始めたのが決断のきっかけです。 一方で、歌謡界の先輩方の中には、引退を明言せず、 自然にいなくなってしまう、つまり「フェードアウト」 する方もいます。それも自然でいいのかな、 と思った時期もあるんですが、そういう場合、後々「 今あの人はどうしている?」 と世間の話題になってしまうことがありますよね。自分自身、 その被写体になるのが嫌だったし、そうなると、 ファンの方々が寂しがるじゃないですか。私の美学からいうと、 それだったらはっきりと引退を発表した方がいい。 そう思いました。 それに、「歌」を巡る世の状況がどんどん変わっていますよね。 まず「のれん街」がない。飲み屋はありますが、 現代風になっていて、「おい、一杯飲んで歌おうや」 という雰囲気はなくなってしまっています。また、ラブソングも、 夢のある歌も溢れていますが、 それらのうちどれくらいが現実と結びついているのか。加えて、 このコロナ禍で、そもそも人が集まることすら難しくなっている。 歌を生業とする身としてはあまりに厳しい現実です。 そんなこともあり、 歌うことへの執着というものが次第に弱まってきました。 引用元:「週刊新潮」
・心身の状態については、私も身に染みてわかります。
・自然引退(フェードアウト)を選ばなかった事についても、
・歌を巡る状況の変化についても、著しく同感いたします。
平成の時代になると、極端に日本が急ぎ足になってしまったように
思います。古いものはすべてダメで、 郷愁というものが消えてしまい、過去を振り返るとか、もう一度見 つめ直すという営みがなくなってしまったのではないか、と。 また、世の中が便利になり過ぎた代わりに、情緒も消えてしまいま した。例えば、昔は恋文一つ書くにしても、文房具屋に行って便箋 を買い、万年筆で何度も何度も書き直しては郵便局に向かい、胸を 高鳴らせながらポストに投函した。不便ですが、絵になる光景があ ったんです。今はポストどころか、手紙そのものを書かない。 みんなメールかLINEでヒョイ、でしょ。 それで失うものもあるんです。テンポが速い、スピードが速いのは 悪いことではないし、スマホのようにいつでも何でも調べられるの は“進歩”ではあるけれど、世の中や人の情を破壊しているという 気はします。 そんなことを感じていたところに、コロナ禍で業界自体もバラバラ になってしまった。それが突き詰めれば引退の大きな理由のひとつ です。これなら、早く辞めるという選択もあるのではないか、 と思って……。 引用元:「週刊新潮」
・様々な思いが去来して、「歌手引退」を決断されたのですね。その決断を私は尊重したいです。
・まさしく昭和を生きてきた同世代としては、橋幸夫さん「
・例えは適切ではないかもしれませんが、平成天皇が、生前退位を決断されたことと通じるものがあるような気がします。余力を残らなくなるまで頑張らなくてもよいと思います。橋さんの残りの人生を楽しんでいただきたいと切に思います。
橋幸夫さんの大学入学が決まる!
橋幸夫さんは、コロナ禍で歌手活動に制限が加わったり、
引退を発表した時の反響はすごかったんですよ。そのほとんどは「
もっと頑張ってください」「歌えなくなるまでやってください」 というもの。友人のさだまさしさんにも「死ぬまでやってほしい」 と引き留められたんです。それはそれで嬉しいことだけど、 もうやることはやり尽くした。年も取ってきたし、 こんな時代だから……と気持ちを伝えたら、「そうですよね。 わかりました」と言ってくれましたよ。 それに、声以外はまだどこかが駄目になったというわけではない。 コロナ禍で仕事がキャンセルになる中、 残りの人生をどう生きるかということも考えました。 そこでもう一回、夢を見られるようなことを見つけたんですよ。 だから、これからはそちらにチャレンジしていこうと。 引用元:週刊新潮
大学入学のきっかけ
〈かくして今回の決断に至った橋が「第二の人生」
のメインにしたものは何か。〉 大学で学ぶことにしました。六十ならぬ八十の手習いですよ。
僕は忙しくて高校は実質2年しか通えていないから、 60年振りの学生生活になります。といっても、通信制で、 オンラインでの講義が主ですけどね。 今年度から京都芸術大学の通信教育部に、 書画コースというのが新しくできたんです。 引退を決めた後にそれを知り、思わぬ「縁」を感じました。 僕は40年ほど前から、書道を学んでいます。 歌手をやっていると、サインをお願いされることがあるでしょ。 あんまり下手な字じゃ申し訳ないと思って、 高校で書道の先生をやっていた方に10年ちょっとは習っていまし た。 それが終わって、ある時テレビを見ていて、書道でも「 キャレ文字」というのがあるのを知りました。 キャレ文字というのは、書道でも少しモダンで、 額に入れてインテリアとして飾るようなアートのことです。 面白いな、と思ってテレビに出ていた先生に電話をかけて、 スクールに入ったんです。そこで7~8年、 2人の先生について習いました。 その2人目の先生が久しぶりに電話をくれて、「橋さん、 引退発表して新しい道を探していますか?」と。「はい」 と言ったら、今度講師になります、 と大学のことを教えてくれました。これは面白いな、 と思って願書を出したら、1カ月後におめでとうございます、 と合格通知が来たんですよ。とんとん拍子に話が進みました。
その後、大学の事務局が「ありがとうございます」
とご丁寧に電話をかけてくださいまして。「 橋さんが入学することで校内でもかなりの反響があり、 500人くらい書画コースに入ってくる学生さんがいるんですよ」 と。それで、この4月3日の入学式では、 新入生代表としてあいさつまでしました。「 新しい夢と人生のスタートを切れることに喜びを感じています」 と紋付羽織袴姿で。この年齢になりますが、 学び足りなかった学生生活をもう一度楽しんでみたいですね。 何とか頑張って4年間で卒業したい。それが今の目標です。 あっ、でも、勘違いされている方も多いようですが、 芸能活動そのものを引退するわけではありませんよ。 歌手を辞めるというだけで、 例えば俳優の仕事のオファーが来れば、 お受けすることもあるかもしれません。 その意味ではまだ芸能人としては「現役」です。 僕にとって「老い」というのは天命。天から「お前は年なんだよ」 と自戒を促された。そうして引退を決めた後に、 こうやって新たな道を見つけられたことも、 また何かの導きだと思っています。 残りの人生がどこまであるか。「いつでも夢を」持ちながら、 精いっぱいエンジョイしていきたいですね。 引用元:週刊新潮
橋幸夫さんのように、お金に苦労はないと思われる方でも、
いや、お金に不自由されていないからかもしれませんね。
橋幸夫のファイナルコンサート開催
橋幸夫さんは、2021年から2022年にかけて、
最後の生歌手・橋幸夫の雄姿を見るため、生歌を聞くため、
全国160カ所を回るファイナルコンサートがあるんですよ。この
橋幸夫さんの事ですから、
お体をご自愛くださって、無事に乗り切って下さい。
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