尾崎豊は約25年の濃密な短い生涯を、自分自身で磨き、熟成させました。
詩人、作詞家、作曲家、歌手、演奏家、等として、主に若者向けのメッセージ余すことなくこの世に発信してきました。その絶頂期と思われる時に、尾崎豊は突然の死を迎えました。
トータル的な音楽家「尾崎豊」について一ファンとして、存命ならばアラ還世代である尾崎豊を、同じくアラ還の私が、同じ時代を生きてきた者としてお伝えしたいと思います。
私が、尾崎の音楽活動を支持するのは、言葉、メロディー、演奏、歌声で非凡な才能を見せ、それぞれがリンクして、彼が世の中に訴えたいこと、伝えたいことを効果的に発信し、多大な影響を与えたと思うからです。
彼の考え方生き方に賛否両論あるのは重々承知してますが、彼の死生観に対する考え方、その考えに至った背景、感受性、そしてその思いを歌詞で発信する姿勢には、学ぶべきことが多いと感じています。
尾崎豊の「15の夜」と「卒業」等が、没後30年の今でも愛され歌い継がれる!
私が最初に彼をはっきりと認知したのは、尾崎豊が亡くなってからしばらくした時でした。
確か、NHKの特集を見た時ていた時でした。
当時、小学校の教員だった私には、最初、尾崎豊の、学校を否定するかのような歌詞に違和感を覚えた。私の中にある、【真面目に生きてきた】という心の狭い自負が尾崎によって否定されたような気がした。「15の夜」歌詞や「卒業」の歌詞は、反社会的な人々の代表みたいに見えていました。
彼に対して、若者(所謂、アウトロー)の代弁者という考えから抜け出さないでいたのだと思います。だから、あえて、彼の音楽にどっぷりはまらないようにしていたのだと思います。
しかし、仕事柄、こういう考えや生き方に触れることが子どもたちの気持ちをより深く知る上でも大切だと思い直して(思いあがって)聞き始めたと思います。
番組の編集と構成のおかげか、すぐさま、歌詞以上に、音楽の奏でる寂しさ、苦しさ、悩ましさ、大人に対する反発心等が、より深く、強く感じられ、その番組が終わるころにはすっかり尾崎豊のとりこになり、彼の才能に心酔しきっていました。
尾崎豊を理解しようと努力する自分と、理解したいと強く思う自分が存在していました。
番組が終わったころには、
【なぜ、尾崎豊が生きているうちにこの音楽家をもっと見なかったのか?】
と思うようになっていた。
その直後、その番組を見ていなかった妻に、「尾崎豊って知ってる?」と聞いたとき、
妻は当然のように、「知ってる」と答え、更に「お父ちゃん、『尾崎豊』知らなかったの?」と馬鹿にしたように驚かれたことをはっきりと覚えています。
ショックだったのは、「お父さんは、尾崎豊を絶対に好きにならないと思ったからあえて存在を伝えなかった」と言われたことでした。(因みに妻も教員)
その番組で流された曲は、ほとんど初耳であった。確か、途中からビデオに録画したが、今はVHSのビデオを再生する機器もなく、膨大なVHSビデオの山の中で、尾崎豊の特集ビデオがどこにあるのかわからないのが辛い。もしかしたら、子供の成長記録のビデオに上書き録画されてしまって、もう存在していないかもしれないと思います。
「十七歳の地図」「15の夜」「I love you 」「僕が僕であるために」「ダンスホール」
そして「卒業」をその後、歌謡曲の歌詞とコードが記載されている分厚い本を購入してのめり込み、当時のカセットテープにお気に入りをダビングし、通勤の車の中で何度も聴いていたものです。
尾崎豊の「卒業」が、没後30年の今でも愛され歌い継がれる!
後半のセンセーショナルな言葉がよくクローズアップされるが、「卒業」 の冒頭では、静かに、日常の描写から入っている。
若かりし頃の尾崎豊は、実際に行ったかどうかは別として、(夜の校舎の窓ガラスを壊して回る)、というような反社会的な行動を取り続け、あがいてきた。しかし、彼の気持ちは理解されず、世の中も変わらない。
尾崎豊を初めて聞いた時に『初めて自分が本当の意味で理解してもらえた』気持ちになりました。 尾崎豊の魂の叫び脳ような歌は、アラ還になる自分に、あの頃と変わらないまま響き続けています。没後30年経過した今でも色あせないし、むしろ新鮮で説得力がります。
尾崎豊と同世代です。尾崎豊の楽曲にとても共感出来ます。私自身は、所謂、行儀よく真面目にみられるように生きてきたと思っています。しかし、幼馴染の年下の後輩が、中学校の校舎内をバイクで走り回っていました。成人して、お互い結婚して、酒を酌み交わしたときに、彼が語ってくれました。
所謂、不良の暴走行為でしたが、彼の心の葛藤や苦しみが理解できた気がしました。
当時校内暴力が全盛期だったので卒業は特別な1曲。 17歳にしてこんなにも表現出来る尾崎豊は天才です。いつまでも心に残る尾崎豊が私は好きです。
歌詞も曲調もスゴくいいけど、 なんていったって この歌には魂がこもってるな
声に魂がこもってるってまさにこの人の歌声だよね。 やっぱり綺麗に歌うのと訴えるように歌うのは違うよ…
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尾崎豊は、何を学んだかつかめないまま、学校を卒業しました。その後音楽家として、社会に出ました。様々な方法で社会に問いかけ、訴えたが、伝わらない。かといって、社会全体を変えるにはまだまだ力不足を感じていたのだろう。
尾崎豊の「卒業」に込めた思いは、学校生活からの「卒業」であったかもしれない。しかし、時を経て、社会からの「卒業」を思わせる歌詞にも読み取れるところが、この曲の【奥の深さ】【懐の深さ】だと考えるに至ったのである。
この歌詞(言葉)に、尾崎豊の戸惑いと虚無感を感じる。
還暦となった今でさえ、尾崎豊の歌詞を読み込み、口ずさむと、毎回のように新たな気づきがある。尾崎豊は、あるサイトでは、詩人という肩書で紹介されているが、そう思ってしまう。
多くの若者が、悩んだこと、気づいたこと、喜んだこと、及び、それらのことをどのように言葉に表現していけばよいのかを、簡潔な言葉で、表現している作詞能力には、大変失礼な言い方かも知れないが、驚かされてしまう。
尾崎豊の詩には、最初に、平凡な日常風景の情景描写から始まるものが多いと感じている。
その、情景描写から、聴く我々は、当時の自分に置き換えて、思い思いの自分のストーリーを思い出し、回りの人のストーリーを想像する。
おのおのが、自分の学生時代を振り返り、自分の景色を思い出す。
「卒業」の冒頭の歌詞は、
まるで、画家(ミレー)の絵の一枚に出てきそうな景色が思い浮かぶ。
そのフレーズに引き込まれてから、一気に尾崎豊の世界観に入り込む。
尾崎豊の「15の夜」が、没後30年の今でも愛され歌い継がれる!
16歳の少年の日常から始まり、途中から、16歳の少年の魂の叫びと行動を歌っていると思うものである。
(尾崎豊は「16の夜」では、歌の題名に適さないと思い、語感も考えて「15の夜」にしたと話していた。)
堅苦しいことを言うようであるが、尾崎豊が、「16の夜」で歌詞を作った時には、無免許を想像させるからではないかと思ってしまった。(苦笑)「15の夜」では、明らかに無免許運転になりますからね。
盗んだバイクで走り出すことも、勿論駄目だが、少しでも、「16の夜」の方が、歌詞に対する世間からの免罪符が必要だったのかな?と素人考えの私には思えた。
尾崎豊が、語感を考えて「15の夜」に決めたことを知らなかったら、悪役ぶりを印象付けるためだと思い込んでいたに違いない。
「15の夜」の冒頭は、何気ない教室の中の授業を受ける風景から入っている。
学校生活を送った者であれば、自分自身或いは目にしたことのある光景であろう。自分自身や友人に対してその状況に色々な感情(思い入れ)をもって、自分も確かに存在した経験がある。
この歌詞の「盗んだバイクで走り出す」の歌詞は、現在では、批判を浴びるであろう。下手をしたら、放送禁止になるかもしれない。
15の夜にバイクで走ることも問題になるであろう。
尾崎豊が生きていた時代だからこそ、当時だったからこそ、歌えた曲だと痛切に思う。
今、尾崎豊が、生きていたら、このような曲は発表できない。又は、批判覚悟で発表するかであろう。
尾崎豊の歌は、没後30年の今でも愛され歌い継がれる!
尾崎豊は、彼が生きてきた頃の世の中を、尾崎豊が紡いだ言葉(歌詞)に思いを乗せてきたのであろう。
言動に疑問を持ちながら、自分らしい理想とする生き方を模索しながら生き続けてきたのではないかと思える。 自分らしく、時には、社会に批判されても、社会に抗ってでも。
その思いに、多くの人が触れる歌というものに、尾崎豊の気持ちを乗せて発信したのではないか?
歌というのは、昔から、人々の身近にある。国歌・県歌・市歌・校歌・社歌・・・等々。
その歌を歌うことは、歌の作者や歌手に対して、同調や同意・共感している場合がほとんどである。
また、そのことを音楽を通して発信することにより、多くの人に、尾崎の歌の意味を伝え、尾崎の思いを感じると思うのである。
尾崎豊は、自身の歌を発表することによって、生きる意味を多くの人々に考えてもらいたかったのではないかと考える。
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尾崎豊の名曲の数々が、没後30年の今でも愛され歌い継がれる!
尾崎豊の作曲は、歌詞とのマッチングがとてもしっくりくると思ったいる。
単純に言えば、この言葉に完結する。
作詞と作曲を手掛けているからか、所謂、歌謡曲にありがちだった、曲に合わせた歌詞といか、歌詞に合わせた曲ではないのか?という違和感がない。言葉で伝えたい気持ちを伝える時の音階やリズムが湧き出していたのだろうと思わせる。うまく言葉で表せないが、そんなことをかんがえてしまうのである。
私事であるが、尾崎豊の歌を聴いて、改めて感じたことを述べたいと思う。
中学時代に、新聞の記事で、沢田研二の「コバルトの季節の中で」という歌詞を見た。
当時、楽譜も読めない私は、歌詞を見て、自分のイメージで曲を作り、通学途中で口ずさんでいた。我ながら、よいメロディーだと思ったが、当時の私には、オルガンさえまともに弾けない音楽音痴。楽譜に起こすことなんて考えもしなかった。
ところが、数か月後に、新聞の音楽番組欄に、「沢田研二の『コバルトの季節の中で』」を見つけた時は、親に頼み込んでテレビのチャンネル権を得た。親に、私の考えた曲で「コバルトの季節の中で」を歌って聞かせてから、本物を聴いたときに、驚いた。かなり、似ていたのである。親にも驚かれたことがある。
その後調べたら、【コバルトの季節の中で】は作詞者(小谷夏)と作曲者(沢田研二)が異なっていたが、作詞と作曲のマッチングということは、私の音楽鑑賞の中で、お気に入りの重要なポイントになっている。
その作詞と作曲のマッチングが、尾崎豊の楽曲にはほどんどの楽曲で強く感じられるのである。私としてはうれしい事だが、感覚が似ているという感じだろうか?
勿論、初めて出会った時から、尾崎豊の作詞と作曲を同時に聴き、更にドキュメンタリー番組だったため、彼の生き様や生前の業績も知りえた上でのことなので、単純に比較はできないが、言葉で言えば、悩みや、悲しみを表す歌詞の時には短調を基調としたバラード風の曲が与えられ、激しい怒りや、反骨心のある歌詞の時はロック調の曲が与えられていると感じる。
言葉を変えれば、歌詞の言葉や、歌詞に込められた気持ちを語る際に、その気持ちを表現するように曲をあてがっているというイメージなのだ。
正直言って、ライブの伴奏とかを聴くと、ミスタッチは多いが、私は気にしない。
むしろ、それだけ、言葉や曲作り・歌唱に対して思い入れの強さが際立つ。
歌唱に力がこもると、演奏の力に注力出来ない事もあるだろう。もしかしたら、私が(ミスタッチ)と思っている所は、尾崎豊自身がわざと行っているのではないかと思うくらいである。
目の見えない方が、音感や味覚や嗅覚において感覚が研ぎ澄まされて居る事が多いと言われている。
絵画の手法で良くある、「明」を際立たせる為に、あえて「暗」を効果的にちりばめる。と言う効果の為だと、最近思うようになってきた。
尾崎豊は主に情景描写のバラード風の歌唱場面では、作曲に則った正しい、丁寧な歌いかたである。
一方、感情表現のロック風の場面では、かなり激しい、アドリブを駆使し、言葉をメインにした感情をぶつけるような歌い方をしている。
そして、一つの曲の中で、入れ替わり立ち代わり現れることが多い。
これが尾崎豊の歌の特徴であると思う。
勿論、「ダンスホール」のように、静かに、もの悲しさに重点を置いた曲もあれば、
「卒業」のように、激しい感情表現がほとんどの曲もある。
https://singer-song-music.com/ozakiyutakanosiinto-sonoriyuu-368
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尾崎豊が気になる方は、是非ともお読みくださいね。
因みに、私の投稿記事一覧ですので、記事内でリンクを紹介した記事も含まれているとは思いますが、ご了承ください。
よろしくお願いいたします。
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